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昭和歌謡メロディー譜 「いつでも夢を」橋幸夫・吉永小百合

楽譜のご紹介

 1962年発表です。もっと前のように思っていました。前奏部分から、これからどんどん生活がよくなる、そんな感じがしてくるフレーズです。当時、(ラーメン屋の)ラーメンが多分40円ぐらいだったと記憶しています。我が家はもうそろそろ冷蔵庫が入るころだったと思います。兄が買ってもらった百科事典には、新しい乗り物ということで、新幹線の完成予想図が乗っていました。

 この歌い手である吉永小百合さんは、17歳か18歳です。私は仕事の都合で埼玉県の川口市に数年暮らしたことがありました。キューポラのある街という映画の主人公でもあった吉永小百合さんが、川口のこの道を走ったのだというようなことを地元の人に教えてもらったことがあります。今から、30年以上、前でしたので、まだ鋳物工場もたくさんありました。今はもうすっかり町が変わったようです。

そんなことはいいとして、いつものように、楽譜を少しだけお見せします。

 楽譜はトランペット、トロンボーン、アルトサックス、フルートの順に並んでいます。楽譜をクリックすると販売サイトに飛びます。

楽譜販売サイト

販売サイトはこちらです。Piascoreという楽譜専門販売サイトになります。楽譜の見本はトランペット用ですが、アルトサックス、フルート、トロンボーンの楽譜もございます。

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演奏例

曲の由来

「いつでも夢を」(いつでもゆめを)とは、1962年9月20日に 日本ビクター(音楽事業部。後のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から発売された橋幸夫と吉永小百合のデュエットによって発売された楽曲(VS-807モノラル)で、橋の27枚目、吉永の3枚目のシングル。

橋幸夫さんと吉永小百合さんを当時、小学生だった私が見て、ちょっと不釣り合いな感じがしました。しかし、現実には、同じレコード会社に所属する歌手同士であったということです。もちろん、吉永小百合さんは、女優もしていました。たまたま、売れている二人をデュエットにして、売り出そうという自然な流れからできた曲なんだそうです。

当時、私の耳からしても、吉永小百合さんの声はちょっと上に引きずるような感じで、音が合っていないような気がしましたが、事実、オーケストラに音を合わせられなくて、キーを歌い手に合わせたという話が残っているそうです。そして、レコーディングは、当時の多忙を極めた両者の事情から別々に録音して、合わせたのだということです。

当時は、皇太子のご成婚(現在の上皇様)が2年前、テレビも普及し、電化製品も徐々にそろい始めてくる時期だったと思います。そんな、未来が明るい感じを子供心にも感じた時代でした。このイントロの明るい感じがそれを象徴している感じです。そして、なぜだか知りませんが、うちにもそのレコードがありました。このレコードが発売されたときには、まだ御三家は成立していませんでした。つまり、舟木一夫さんも西郷輝彦さんもまだデビューしていませんでした。そして、わずか、1ヶ月で30万枚を売り上げます。半年後には100万枚を突破しました。累計売上は260万枚を記録しています。

この楽曲は第4回日本レコード大賞の大賞を受賞し、その年の紅白で私もこの曲を歌っている2人を見ました。可愛いとかきれいとかは特別感じなかったのですが、私より年上の世代には、今のアイドル以上の存在だったようです。

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