楽譜のご紹介
和田アキ子さんの『笑って許して』という曲は、1970年に発売された彼女の4枚目のシングルです。作詞は阿久悠、作曲は羽根田武邦、編曲は馬飼野俊一さんが担当しました。この曲は、約20万枚を売り上げ、オリコンチャートで当時の自己最高記録となる11位を記録した和田さんの代表曲の一つになりました。また、編曲を担当した馬飼野俊一さんは本楽曲でこの年の第12回日本レコード大賞編曲賞を受賞しました。
この当時、日本は工業が発展し、現代でも生活必需品として普及している家電製品の開発が盛んでした。また、第二次ベビーブームを経て日本の総人口が1億1000万人を突破したのも1970年代です。
1970年代の日本では、「3C」と呼ばれるカラーテレビ・クーラー・カー(自動車)が生活に取り入れたい商品として人気がありました。多くの家庭にテレビが普及したことで、バラエティー番組やアニメの人気が高まりました。自動車も一般家庭に普及し、マイカーを持つ人が増えました。しかし、高度経済成長が日本にもたらしたのは好景気だけではありません。成長の弊害として公害問題が深刻化してきました。実際、東京の夏場の夕方になるとどんよりとした夕焼けが結構見られ、割と頻繁に光化学スモッグ注意報が出ました。たぶん、車の性能は今ほどよくはなく、東京は、粉塵をまき散らす車だらけで、振動と騒音もいまの比ではなかったと思います。
当時、スマホもインターネットはもちろんありませんでしたので、情報源は文字メディアが主流でした。このころに、現在も人気があるファッション誌が数多く刊行されています。また、複合施設ビルが多くできて、若者向けの商業施設としてPARCOやラフォーレ原宿がオープンしました。私も池袋のパルコは結構行きましたが、いついっても全館に何かお香でも炊いているようなにおいがして、独特の雰囲気がしました。
1960年代にミニスカートが大ブームを起こしましたが、割と若くない人たちも、はくようになりました。水道管工事だったか、ガス管工事だったかわかりませんが、工事業者が通りがかりのミニスカートをはいた足のきれいなマダムに『若いと思ったら、婆じゃないか』といって、みんなで大笑いしていました。その人は、侮辱されて、怒りが収まらないようでしたが、何もできずに、我慢するしかありませんでした。まるで、寅さん映画に出てくるような情景で、いまでも記憶に残っています。
そうしたことからか、1970年代はくるぶしまで丈があるマキシスカートを取り入れた「フォークロア(ボヘミアン)」が流行しました。1973年にはオイルショックの影響を受けて倹約主義が強まったことで、「チープ・シック」が誕生しました。ほかにも、ベトナム戦争への反戦ムードから、サイケデリックでボヘミアンな特徴を持つヒッピーが流行したり、上流階級や高級嗜好への反骨精神を現したパンクロックも人気を獲得したりしました。女性がジーンズを履いたり男性が髪を伸ばしたりといった、ユニセックスファッションが広まったのも1970年代で、これまでに比べて創造的で新しい価値観を感じさせる流行が増えました。
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