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【トランペット用ソロ楽譜】昭和歌謡シリーズ 『丘を越えて』藤山一郎(Okawokoete_Masao Koga)

 
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楽譜のご紹介

昭和6年というから、この曲を聴いたのは、懐メロの映像からでした。最近、車のCMで使われていて、なんでまた、この古い曲を使うのかなあと思っていたくらいです。
元々が古賀正男さんが『ピクニック』という題名で、母校の明治大学のマンドリンクラブのために作った曲なのだそうです。どおりで前奏がやたら長いはずです。どことなく三味線でも合いそうな、独特な節回しがります。

以前、上げた『青い背広で』という曲と共通するテイストがあります。両方とも、藤山一郎さんが歌った曲だそうですが、人気を不動にしたのが、この『丘を越えて』という曲だそうです。さっそく、楽譜の外観をチラッと見てください。

楽譜の音見本



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演奏例

’70年代?「丘を越えて」 明大マンドリン倶楽部59

曲の由来など

最近では車のCMなどにつかわれていました。

「丘を越えて」(おかをこえて)は、1931年(昭和6年)12月に日本コロムビアから藤山一郎の歌唱によって発売された昭和歌謡です。昭和3年が日本コロンビアの正式名称になったわけですから、改称当初の曲ということになります。もともとは1931年(昭和6年)に発表された新興映画『姉』の主題歌だったということですが、こちらのほうは詳細不明です。

ちょっとふれたように、やたらと長い前奏が今では、奇異に感じますが、もともとが歌謡曲というよりは、マンドリン演奏用に作った曲です。今は知る人は少なくなったと思いますが、この古賀政男さんは、明治大学マンドリンクラブの設立(1923年)にかかわり、その後、作曲家として活躍するわけです。そして、この曲の着想を得たのは、その明治大学のマンドリンクラブの後輩といった花見の後に、自宅に戻り、愛用のマンドリンを手に、その情景が次々と曲になったのだといいます。

昭和30年代から40年代当たりの素人を対象にした、歌謡コンクールなどに、審査員として古賀政男さんは、結構その顔見かけていました。この時代は、歌謡曲のコンクール、のど自慢というのが盛んでしたので、この時代の作曲家や作詞家は名前を見ると、顔が思い浮かぶほどおなじみになっています。そして、古賀政男さんの印象は、本当に温厚な優しいおじさんという感じでした。審査員としてのコメントも非常にやさしく、それを補うように他の審査員がちょっと辛口に評価するというようなことがあったように思います。

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