楽譜のご紹介
1982年のリリースだそうです。社会人になっていて忙しくて、ほとんど記憶にないのです。仕事の都合で、しょうがなく地方に飛ばされ、生活のために、車の免許を取ったりしていた頃です。エアコンのない車に、カセットだけはつけて、適当に録音したテープを聴いていた、そんなときにこの曲を録音したように覚えています。いつものように詞の内容はほとんど聞かないので、『大阪ベイブルース』というのが、大阪湾のブルースとは聞こえず、大阪の(野球の)べーブルースという風に聞こえて、変な曲だなあと思っていました。歌っている人にもたいして興味もわかず、曲だけはいい感じかなあと思っていました。さらに、今の今まで、『悲しい色やねん』と思っていました。
そんなことはいいとして、いつものように、ちょっとだけ楽譜を紹介します。
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演奏例
曲の由来など
「悲しい色やね」(かなしいいろやね)は、1982年にリリースされた上田正樹のシングルである。作詞は康珍化、作曲は林哲司が担当した。
上田正樹は、1977年の上田正樹とサウス・トゥ・サウス解散後からソロ活動をしており、1981年にはCBSソニーに移籍しましたが、ヒット曲に恵まれずにいました 。
彼の楽曲のディレクターを務めていた関屋薫は、複数の作曲家に作曲を依頼しました。その中の一人である林哲司は、英語詞向けに作ったメロディを作成し、関屋に提出したのでした。
メロディを受け取った関屋は、林とのタッグで知られる作詞家の康珍化に作詞を依頼します。その夜、康は「あの曲を関西弁の女性の視点からで書いてもよいか」と関屋に尋ねて驚かせたということです。さらに数日後、康が提出した歌詞を読んだ林は「演歌みたいな曲が売れるわけがない」と感じたといいます。
その一方、関屋は洒落たメロディと関西弁の歌詞、そして上田のハスキーな歌声が合うと感じていました。
最終的に、本楽曲は曲名を『大阪ベイブルース』から『悲しい色やね』に変更して売り出されました。