楽譜のご紹介
この曲は昭和14年の曲なんだそうで、相当古いですが、ディック・ミネさんが、盛んに昭和50年代ぐらいまで歌っていたので、私の知るところとなっていました。
タンゴ調のメロディーですが、作曲したのはサックス奏者の方なんだそうです。この年から、コメが配給制に変わり始めます。ドイツに対して、イギリス・フランスなどが宣戦布告し、世界大戦へと発展していきます。イギリスでは、徴兵制が始まるということでした。
日本は、ソ連との間にノモンハン事件が起こっています。そんな当時のご時世で、戦前最後のモダンな曲といっていいような曲だったのだと思います。その分、戦後にも取り上げられたのかもしれません。
ディック・ミネさんは、たまたま知り合った元バンドマンの人によると、とにかくきまいがよく、バンドマンにも小遣いをくれたりして、面倒見もよかったようです。少し前に、見たテレビで遺産が全くなかったと報道されていたのも、そういうきまいの良さからだったのかもしれません。
また、今(令和元年)だと90歳近い元少女にとっては、あこがれの人であったようです。ディック・ミネさんの人気に関しては、私の母が少し興奮気味に当時の人気の高さを言うので、母が育ったあんな片田舎にまで、その人気が轟いていたことに改めて驚かされます。(この記事を書いたときは、平成でしたが、もうすでに母もなくなりました、どんどんこの曲も忘れ去られようとしています。)
そんなことはいいとして、いつものように、楽譜をチラッとお見せします。
楽譜はトランペット、トロンボーン、アルトサックス、フルートの順に並んでいます。楽譜をクリックすると販売サイトに飛びます。
楽譜販売サイトのご案内
楽譜の販売サイトはこちらになります。Piascoreという楽譜専門販売サイトになります。楽譜の見本はトランペット用ですが、アルトサックス、フルート、トロンボーンの楽譜もございます。
演奏例
曲の由来など
「或る雨の午後」(あるあめのごご)は、1939年(昭和14年)1月にディック・ミネがリリースしたシングルであり、楽曲名です。
1939年(昭和14年)1月に古賀政男がテイチクを退社、ディック・ミネは作曲者にジャズ・サックス奏者の大久保徳二郎を指名、島田磬也の作詞(「和気徹作」名義)、杉原泰蔵の編曲、ディック・ミネ・エンド・ヒズ・セレナーダスの演奏により、『或る雨の午後』は生まれました。この曲で大久保は作曲家としてデビューとなりました。
盤面には、『或る雨の午後』については「ジャズソング / タンゴ」と明記され、『上海ブルース』については「ジャズソング」とのみ記されています。『或る雨の午後』のリズムは確かにタンゴであり、ダンスミュージックに分類されるべき楽曲です。
日活京都撮影所が同年の暮れに製作した、マキノ正博監督、片岡千恵蔵主演のミュージカル映画『鴛鴦歌合戦』にディック・ミネが出演し、歌を多く歌い踊るが、そのうち青葉の笛の由来を歌った曲に『或る雨の午後』のメロディがフィーチャーされています。
同作のオペレッタ構成・作詞は島田、作曲とオーケストラ指揮は大久保が担当しています。同作は、同年12月14日に公開されますが、40数年の時を経て、1985年(昭和60年)渋谷での「マキノ雅裕レトロスペクティヴ」で喝采を受けて以来、カルトムービーとなっています。