楽譜のご紹介
1965年のリリースだそうで、もっと古い曲のように感じていましたが、そうでもないようです。ただ、テレビでこの曲を歌っている姿を見た時には、ちょっと衝撃的でした。私の記憶のシーンはもちろん白黒テレビですが、黒い革ジャンで結構、鼻に特徴のあるあんちゃんという感じの歌い手が、怒涛のように歌うという感じでした。
多分、想像ですが、このようなうなり声的な歌い方は、都はるみさんや、その前の浪花節的な節回しの村田英雄さん、三波春夫さんの流れがあって、出てきたのではないかと勝手に思うわけです。その後、ヒットした兄弟仁義なども同じような歌い方になっています。ここにこのスタイルが完成し、今があるんだろうと思うのです。
まあ、最近では、北海道新幹線開通ということで、マスコミもこの曲を取り上げることが多くなってきましたので、取り上げてみました。
青森駅から乗客が青函連絡船自由席のいい場所を狙って一斉に疾走するという姿が、昔はありましたが、そんなことは昔々のお話になってしまいました。連絡船の出向のどらの音に続いて、流れていたのが、エデンの東でした(どっち方面の音楽かは忘れました)。この船上の4時間の間に、いろいろなことを思うのです。そんな当時の背景があって、『函館の女』なんだろうと思うのです。そんなことはいいとして、またちょっとだけ楽譜をご紹介します。
楽譜はトランペット、トロンボーン、アルトサックス、フルートの順に並んでいます。楽譜をクリックすると販売サイトに飛びます。
販売サイトのご案内
販売サイトはこちらです。Piascoreという楽譜専門販売サイトになります。altosax flute tromboneの楽譜もあります。
演奏例
曲の由来など
「函館の女」(はこだてのひと)は、北島三郎の14枚目のシングル。 1965年11月10日に日本クラウンから発売されました。本作は140万枚を記録する大ヒットとなりました。
作詞の星野哲郎の述懐では、当初は「(女が)東京へ出てくるという歌にするつもり」で詩を書いたが、レコーディングディレクターの助言で「函館をテーマにしたものに変えた」ということです。
島津が星野の詩に曲をつけたがうまく旋律がおさまらず、星野に「最後の1文」の追加を依頼しました。星野もそれがなかなか浮かばず、途中で小用を足して戻ってきたときにふざけて言った「とても我慢ができなかったよ」が島津に採用されたといいます。
発売当初はA面が「北海道恋物語」、B面が「函館の女」でしたが、後にA面とB面が入れ替えられました。
永谷園 から発売されているお茶づけ海苔シリーズの「さけ茶づけ」のCMで1971 – 2003年の間と2012年の発売60周年記念でこの曲の替え歌が使われていました。
1988年3月13日の青函連絡船最終運航の際、この曲の大合唱となったというエピソードもあります。