楽譜のご紹介
1966年のヒット曲です。美川憲一のデビューの印象は、声質がピーターと似ていて、顔の感じも似た感じで、ちょっと混同するようなところがありました。
その後、かなりの時間、見なくなりましたが、再度、見るようになった時には、まるで以前と違う物言いと立ち居振る舞いで、しぶとく現在まで生き抜いておられます。
その舞台の柳ケ瀬は岐阜市にある繁華街ですが、私が30才ぐらいの時(今から30年以上前の昭和の時代)に岐阜市の近くで仕事をしていたということもあり、知っていました。地元の人間に案内されたのですが、普通の商店街でした。今は、シャッター通りとなっていることでしょう。
この曲の前奏が特に好きです。時代の雰囲気がよく出ているように思うからです。今と違って、たぶん、セクハラ受け放題、パワハラ受け放題、ブログやツイッターで人の悪口を言うこともできず、不満があってもないことにして、それでも人伝いに生きていかなければどうにもならないというそんな側面があったように思いますので、そんな感じがこのような歌を生んだのではないかと思うわけです。てなことはどうでもよくて、ちらっと楽譜を見てください。
楽譜はトランペット、トロンボーン、アルトサックス、フルートの順に並んでいます。楽譜をクリックすると販売サイトに飛びます。
楽譜販売サイトのご案内
販売サイトはこちらです→https://store.piascore.com/scores/26567
Piascoreという楽譜専門販売サイトになります。見本はトランペット用ですが、アルトサックス、トロンボーン、フルートの楽譜もございます。
演奏例
曲の由来など
この曲は元々、岐阜の柳ヶ瀬で宇佐英雄という人が、流しで歌っていた曲だったと言うことです。その様子を収録したフィルム・レコードをみたレコード会社のディレクターが目にとめ、美川憲一さんに歌わせることになったと言うことです。
美川さんはすでにデビューしていたもののこの曲以前の2曲は大して売れていませんでした。路線も、青春歌謡と言うことで、空振りだったわけです。しかし、この路線変更と暗めの曲にしたことが大ヒットにつながります。しかし、単純に曲を歌わせるだけでなく、地元の柳ヶ瀬ではやっているように演出し、マスコミの担当者の厚い接待をご当地でするは、行くところ行くところでこの曲が流れているようにしたりと、それなりの努力が成果となってヒットしたということです。
この曲からご当地ソングという言われ方をするようになったのだということです。