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昭和歌謡メロディー譜 『スーダラ節』植木等

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楽譜のご紹介

 1961年に作曲されて大ヒットした曲です。今のヒットとは明らかに違い、日本全国、老いも若きも耳にして、映画でも、テレビでもラジオでも、新聞・雑誌でも、というかそれぐらいしかメディアはありませんでしたので、当時のありとあらゆる媒体を支配したといってもいいんではないかと思います。

 いつも、下校するとき、30分ぐらい歩くことになりますが、友達と大声上げて、スクラム組んで、時に、腕を振って、歌っていました(当時小学生低学年)。ただ、この曲は1961年の8月発表されたのですが、歌っていたのは、もっと後で、翌年の少なくとも夏ぐらいまでは、子供の中ではヒット曲でした。それまでは、なんといっても初回のレコード大賞、水原ひろしの『黒い花びら』で、箱の上に乗って、白目をむき、水原ひろしになりきって、『黒い花びら(鼻くそ)、静かに散った(丸めて捨てた)・・・』という当時のはやりの替え歌を何度も何度も我が家の前で歌っていました。

 やっと悪ふざけが許容されるような時代になってきたのかもしれませんが、まだ子供だったため、どうなのかは定かではありません。ということはいいとして、・・・早速、楽譜をチラッと見ていただきます(画像リンクではありませんので、クリックすると販売サイトに飛びます)。

 楽譜はトランペット、トロンボーン、アルトサックス、フルートの順に並んでいます。楽譜をクリックすると、販売サイトに飛びます。

スーダラ節 トランペット楽譜
スーダラ節 
トロンボーン楽譜
スーダラ節  アルトサックス楽譜
スーダラ節  フルート楽譜
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楽譜の販売サイト

楽譜販売サイトはこちらです。Piascoreという楽譜専門販売サイトになります。トランペット以外にアルトサックス、フルート、トロンボーンの楽譜もございます。下の楽譜をクリックすると販売サイトにとび大きな画像で見られます。

演奏例

曲の由来など

(スーダラぶし)は日本の昭和期の代表的な流行歌です。ハナ肇とクレージーキャッツ、とりわけ植木等が爆発的な人気を得るきっかけを作った曲で、作詞は青島幸男、作曲は萩原哲晶によるものです。レコードは1961年8月20日、東芝音楽工業(現:ユニバーサル ミュージック合同会社)から発売されました。累計売上は80万枚。

それまでのレコード制作はレコード会社主導でしたが、このレコードの原盤は渡辺プロダクションが制作し、東芝音楽工業は販売のみ担当しました。芸能プロが初めてマスターテープを制作したレコードでもあります。

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元々は「こりゃシャクだった」のB面を埋めるために作られた曲でしたが、こちらのほうがヒットしてしまい、後にA面とB面が入れ替えられています。シングル盤のジャケット写真には、当時病気療養中であった石橋エータロー以外の6人が写っています。このジャケットのデザインは1986年の「実年行進曲/新五万節」にも引用され、クレージーのメンバーがオリジナルと同じポーズをとっています。

作曲者の萩原はステージでの植木のキャラクターにあった曲作りのために、まず植木の口癖でもあった「スイスイスーダララッタ~」のフレーズをメロディーにして、植木の承諾を取りつつ、残りの部分を作ったということです。

しかし、非常に生真面目な性格の植木は青島が書いた歌詞を見て、歌うことを躊躇したそうだが、浄土真宗の僧侶である父の植木徹誠から「『わかっちゃいるけどやめられない』は人間の矛盾をついた真理で、親鸞の教えに通じる」「必ずヒットするぞ」と励まされたそうです。

父の言う通り、発売されるや否や「スーダラ節」は大ヒットを記録した(小林信彦は「なぜか名古屋から火がついた」と述べています)。しかし植木自身は「こんな歌がヒットするようでは悲しいなぁ」「冗談じゃない」「こんなのがヒットするってことは、俺が考えてる日本と本物の日本は違うものなのか」と思い悩んでいたと言う。

また、大ヒットを受け、1962年には大映(現・角川映画)で『スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねえ』が製作されています。

1990年、この歌をメインとした、植木等およびクレージーキャッツのヒットメドレー「スーダラ伝説」(編曲:宮川泰)が植木の歌唱で発売され、オリコンチャート最高10位を記録するヒットとなる。植木は歌手としても23年ぶりに紅白歌合戦出場を果たし、『第41回NHK紅白歌合戦』歌手別視聴率で男女1位となる56.6%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)を記録しました。

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