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【トランペット用ソロ楽譜】昭和歌謡シリーズ 『帰り船』田端 義夫(Japanese Oldies”Kaeribune”)Trumpet sheet music

 

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楽譜のご紹介

昭和21年、外地にいた兵隊や朝鮮半島や満州、その他の地に移住していた方々が戻ってくる、その船を舞台とした曲になっていたようです。田端義夫さんが歌番組に出てくると、必ず、父のテンションが上がっていたので、どうしてかわからなかった。
独特の『オーッス』という掛け声から、歌が始まり、手作りのような古いスチールギターのらしきものを弾きながら歌を歌っている、そんな不思議なおじさんに感じました。その後、この曲が耳に残っていて、なんか吹きたい気分になったので、楽譜にしてみたのでした。多分、独特の歌い方も、手伝って、印象に残っているのだと思います。
当時この歌のような境遇にいた人は結構いらっしゃるのだろうと思いますが、中には、故郷を捨て、反対を押し切って大陸に渡り、戻ってきて、身内にすら祝福されない帰国者もいらっしゃったのではないだろうかと想像します。まあ、想像しかありませんが…。いつものように、楽譜をチラッとお見せします。(楽譜をクリックすると、販売サイトに飛びます。←販売サイトが閉鎖されましたので、今はリンクが無効になっています。)

楽譜販売サイトのご案内

 

販売サイトはこちらです。Piascoreという楽譜専門販売サイトになります。

演奏例

 

かえり船

 

曲の由来など

昭和21年発表、田端義夫さんのヒット曲です。作曲者 倉若晴生

この曲を歌っていた田端義夫さんは、三重県松阪市生まれ。なんと、94歳までご存命でした。

3歳の時に父を亡くし、大正14年(1925年)に一家とともに大阪に出て行く。小学校3年の半ばで中退。赤貧のため慢性的な栄養失調でした。トラコーマにかかり徐々に右目の視力を失います。

13歳より名古屋の薬屋やパン屋、鉄工所などで丁稚奉公。その間に見たディック・ミネのギターを持ちながら歌うステージに感動し、みずから音の出ないギターを作っては河原で歌い、次第に流行歌の世界に傾倒していきます(ベニヤ板の板切れで作った音の出ないギターを“イター”と呼んでいたという)。

昭和13年(1938年)、ポリドールレコードの新人歌手北廉太郎の宣伝のため「伊豆の故郷」を課題曲とした新愛知新聞社主催のアマチュア歌謡コンクールに出場することを姉から勧められ、優勝します。

その後、ポリドールの勧めで上京し、鈴木幾三郎社長宅の書生となります。その時に知り合った同じ鈴木宅の書生が、「オースッ!」と挨拶することにヒントを得て、後にステージに出演する際に、田端義夫のトレードマークとも言うべき威勢のいい挨拶が生まれます。このスタイルは戦後も多くの人に愛されたものです。

昭和14年(1939年)、同じく新進作曲家の倉若晴生の手による「島の船唄」でデビュー。当時は同じ会社の先輩に倣って、眼鏡をかけ、いがぐり頭の新人歌手として登場しています。デビュー曲が当時レコード販売会社の組合で制定していた《ぐらも・くらぶ賞》を受賞するという快挙に恵まれ、その後も「里恋峠」、長津義司昨曲「大利根月夜」、「別れ船」「梅と兵隊」とヒットを続け、同じ会社のスター東海林太郎、上原敏と並ぶヒット歌手の地位を築いたのでした。

昭和16年(1941年)、日本橋きみ栄らとともに中国大陸に戦地慰問にも赴くが、その後は主に国内の軍需工場や基地を中心に終戦まで慰問活動を続けました。

終戦後、レコード販売を止めていたポリドールを辞し、昭和21年(1946年)にテイチクに移籍。累計180万枚を売り上げたここで取り上げている、「かえり船」のヒットを出します。戦前の流れを組むマドロス歌謡で人気を博し、「かよい船」「たより船」長津義司作曲「玄海ブルース」と昭和20年代を代表するスター歌手として岡晴夫、近江俊郎らとともに戦後三羽烏と呼ばれました。

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