【奏法さすらい記】うまくいっている状態をイメージするのが練習の基本

奏法さすらい記

あるテレビ番組を見ていてひらめいたことがありました。NHKの番組で、テニスか何かの指導者が、小学生や中学生ぐらいのプレヤーに、常に自分がうまくできたことをイメージして練習しろということをしつこく言っていたことを見て、ちょっと感じるところがありました。日本人的な根性論のメンタリティーのある私としては、ちょっと驚きでした。そのコーチは日本人ではなく、どこの国の人かわかりませんが、西欧人で、自分の悪いところを分析しても意味がない、自分がうまくいったときのことだけを考えろと、しつこく指導していました。
つまり、自分がうまくいったときのことから、物事を考えることが重要なんだということです。なぜうまくできないのかという原因ばかりを考え続けると、ともすれば、ありきたりのあるべき論にはまり、出口の見えない方向に迷いこんでしまうのではないかと。逆に、自分がうまくいったことについて、考えたり、イメージすることは、より具体的、現実的で、既成概念にとらわれずに対応になるのではないかと思うわけです。
どうしても、うまくできないというと、それを否定的にとらえ、そこからの改善が美徳であると考えがちです。世にいろいろ言われている理論に頼りたくなり、安直に結論を出し、だからダメなのだという観念にとりつかれる可能性があります。が、この考え方の癖は、道徳的に美しくても、自分の今、この現実を見つめることを遠ざけることにもなりうるわけです。せっかく個人としての個性にあったものを手にすることができる機会が来たのに、つまり、自分なりのうまく言った経験があるのに、わざわざ、かくあるべきという論理によって、踏みつぶしてしまうことがあるのではないかと思うのです。少なくとも、自分がうまくいった経験を重視する比率をもっと多くしてやるのがいい結果につながるのではないかと思うのです。
特にトランペットの奏法については、個人的な口腔内の状態や、顎の形状、歯並び、唇の暑さ、大きさなどなど、差があるものですので、これをやれば、すべてうまくいくなどというものはなかなかないのではないかと考えます。一つの基準としては、自分の音を聞くということでしょうけれど、簡単なようで、なかなか難しいところがあります。
そう思い始めたのは、実は2か月も前のことです。その後、いろいろと自分が調子のよかったことを思い返し、試行錯誤の上、ある記事に行き当たりました。
その記事には、調子が一定しない人の共通な理由が書かれていました。週2回の練習で、難儀していることは、この調子の維持ということです。何も今に始まったことではなく、はるか昔の高校生の時から、この調子の一定しない感じがありました。

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