楽譜のご紹介
わたしは、田舎に住んでいたので、昭和20年代の後半に生まれた割には、ラジオしかなかった時代を知っています。子供だったせいもあって、丸い食卓台を囲んで夕ご飯を食べて、ラジオが流れていて、そのうち寝るという生活でした。ラジオが鳴っていないときは、柱時計の音だけが静寂の中、鳴っているという状況です(車の騒音は皆無でした)。明かりは裸電球です。そしていつのまにか寝て、いつの間にか目が覚めるという生活をしていました。
それが、我が家にもテレビがやってきて、かなり変化したように思います。いろいろな映像が見られて、それから受ける影響というのは、多分大人たちも子供たちに与える影響を考えると、ちょっと恐怖に思ったのではないでしょうか。テレビを見ると頭が悪くなるとか、目が悪くなるとかいろいろ言われました。そんな時代からそう遠い時代ではない、この曲のヒットでした。
音楽番組もやっていましたが、当時はロカビリーが結構流れていたと思います。私の好みというか、興味をそそられたのは、飯田久彦さんでした。とにかく、ふにゃふにゃと体をねじって歌うので、それをまねて、「ふにゃふにゃ男」と名付けてまねをしていました。そして、この歌を歌っていた坂本九さんもその流れをくむ歌手でした。今では、何の抵抗もなく聞かれる歌い方ですが、当時は、ちゃんとした日本語で歌っていないなどという批判があって、子供のわたしにも届いたほどでした。しかし、何か新しい感じがしたのも事実です。
特に子供心にもこの前奏部分がなんとも言えないこれからの明るい未来を暗示させるような感じを受けたものです。これは、翌年の「いつでも夢を」の前奏にも感じました。かなり極寒の田舎に住んでいたので、暖房が数年のうちにいろいろ代わっていったのもこのころでした。初めはマキだったのが、木炭、そして石炭、石油と移りゆき、地下水をポンプでとっていたのが、水道になり、1959年ごろ、テレビが入り、そのあと、自動三輪から乗用車になり、1962から3年あたりに、洗濯機と冷蔵庫が入り、確か同時期に掃除機も入ったように記憶しています。そんな背景が、そう聞かせたのかもしれません。この曲がヒットしたのが、1961年昭和36年でした。文房具のマジックインキやボールペンもこのころ、普及していきました。数えきれないほどの新しくて、便利なものが生活に入り込んだ時代でした。
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