演奏例
楽譜のご紹介
昭和32年の発表曲で、10月に出たようです。作曲家は上原げんとさん。私は認識はありませんでしたが、この人、かなり戦中戦後と活躍しているようです。『国境の春』昭和14年から始まって、港町十三番地(昭和32年)あたりまで、ヒット曲がいっぱいあります。
港町十三番地は私の記憶から飛んでいますが、多分、これはコロンビアローズさんがとても色っぽく映っていたからだと思います。その後、五月みどりさん、松尾和子さんと、ちょっと子供心にドキドキしたのを覚えています。小学校低学年でもませた子ならば、そのぐらいは感じるということです。
そんなことはいいですが、いつものように、楽譜をチラッとお見せします。
楽譜はトランペット、トロンボーン、アルトサックス、フルートの順に並んでいます。楽譜をクリックすると販売サイトに飛びます。
楽譜の販売サイト
割と近い感じで再現できていると思います。販売サイトはこちらです。アルトサックス・フルート・トロンボーンの楽譜もございます。
曲の由来など
「東京のバスガール」(とうきょうのバスガール)は、1957年(昭和32)10月に、日本コロムビアから発売された流行歌のシングル盤。作詞・丘灯至夫、作曲上原げんと、歌唱は初代コロムビア・ローズでした。
この「バスガール」のモデルは、路線バスの車掌ではなく、はとバスのガイド嬢とされていて、2010年7月に発行された祥伝社新書「はとバス」60年に、歌詞がフルコーラス紹介されており、また、2010年8月21日に放送されたNHK『思い出のメロディー』でも、舞台にはとバスのバスガイドOGが3人登場し、彼女たちの現役の頃の写真をバックに、コロムビア・ローズがこの歌を歌唱していました。
しかし、昨日のお客がきょうも乗ってきたり、酔っぱらいが乗ってきたり、都心のターミナル駅から郊外の住宅地に向かう、路線バスを連想させる部分もあるのも事実です。
この時代には、まだ路線バスには必ず女性の車掌が乗車しており、切符を切ったり、体が不自由になったお年寄りの乗り降りを助けるなど、乗客の世話に当たっていました。バスがワンマン化されるのは1961年頃からです。
唄は3節からなり、夢と希望を持ってバスガールになった若い女性が、見初めた若者に恋人がいてがっかりしたり、酔っぱらいに怒鳴られたりしてなかなか思い通りにいかないものの、一所懸命「明るく」走ろうとする、けなげで純情な姿を描いており、初代コロムビア・ローズの代表曲になっていました。
はとバスの東京都内定期観光バスでは、島倉千代子の「東京だョおっ母さん」とともに、ガイドが乗客に披露する歌にもなっています。