楽譜のご紹介
『奥飛騨慕情』は、1980年に発売された竜鉄也の代表曲です。作詞・作曲は竜鉄也自身が手がけました。岐阜県の高山を歌った名曲で、ミリオンセラーを記録しました。1981年には第32回NHK紅白歌合戦に出場しました。
竜鉄也は、1936年に奈良県の吉野郡に生まれました。3歳のときに岐阜県の高山市に引っ越し、中学2年生のときに失明しました。その後、手術で視力を回復させる努力をしながら、マッサージの勉強をしました。25歳で再び失明したときには、独学で学んだアコーディオンを抱えて流しの歌手として活動し始めました。40歳前に郡上八幡で歌謡酒場「呑竜」を開きましたが、1979年に火事で全焼しました。その翌年にデビュー曲「奥飛騨慕情」が大ヒットしました。しかし、2000年頃に脳卒中で倒れた後は歌手活動を断念し、療養・リハビリに専念しました。2010年にクモ膜下出血で亡くなりました。
『奥飛騨慕情』が発売された1980年代は、日本が高度経済成長から安定成長期に移行した時代です。家電製品や自動車などの普及率が高まり、消費社会が形成されました。
このころ言われていたのが、流通では少量多品種という言葉でした。というか、多分、以前ほど物を置けば売れるという時代はすでに終わっていたのかもしれません。だから、以前のようにとにかく在庫をもって、仕掛けたもの勝ちというようなことはなくなると考えられました。
そして、それは正しくもあり、間違ってもいました。当時、生まれたてのコンビニは商品を絞り込んでいたわけで、そんなうまい商売になるとは思えなかったわけです。それまでの商習慣からして、実体は、問屋の商品をただ単に並べて売っていたというのが実体で、需要のリサーチなんかまったくしていなかった。ほぼ気合だけの、置けば売れる時代が去った後、多くはどうしていいかわからなくなったというのが実態でしょう。
だから、不要な在庫が山ほどあって、利益を圧迫し、仕事を増やしていることも当時は理解できなかったので、それを減らすだけで、経営改善するという、のんきな時代でした。そんな、時代の変化の時にこの歌がノスタルジックに歌われることとなったわけです。ちょっと話が飛躍した気もします。
楽譜販売のご案内
こちらの楽譜は楽譜販売専門サイトPiascoreのこちらで販売中です。フルート、アルトサックス、トロンボーンの楽譜もこちらで販売中です。楽譜をクリックすると販売サイトに飛びます