楽譜のご紹介
1952年の発表です。この曲は妙に耳に残る曲で、この前奏部分の感じがとても好きなので、ぜひ吹いてみたいと思い、楽譜にしました。
私は田舎育ちだったので、田舎にいる間は機関車も走っていました。夜更けに最終列車なのか何なのか、夜空を突き刺すような汽笛の音が良くなっていました。
そんな機関車をやはり多くの男の子がそうであるように、学童になる前から大好きで、駅から出発する機関車を追いかけることもありました。ある時、一人、機関車とかけっこをしていると、機関手が手を振ってくれて、思わず恥ずかしさに立ちすくんでしまったこともありました。逆光のため、顔は見えませんでしたが、たぶん笑顔だったと思います。
また、小学校に入ってからも、同級生に国鉄の機関手の子がいて、自慢していました。しかし、不慮の事故(機関車の間に挟まるという事故)で、父親が亡くなり、あんなに元気が良かった同級生は、母親に連れられてクラスのみんなにお別れの時、机に突っ伏して顔を上げることができないようでした。そういえば、当時は機関車などの事故も結構あったように記憶します。
そして、中学を卒業して、田舎を出るときも、機関車でした。家庭の事情で引っ越しが急だったために、一人で乗ることになりました。そして、もう二度とのることはなくなりました。そんな、旅立ちや別れの感じが出ている前奏です。
間奏曲に関しては、ちょっと違う部分もあるかもしれませんが、雰囲気は出ていると思います。結構凝った曲です。いつものように、見本楽譜しか紹介できませんが、こんな感じです。
楽譜はトランペット、トロンボーン、アルトサックス、フルートの順に並んでいます。楽譜をクリックすると販売サイトに飛びます。
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演奏例
曲の由来
1952年、昭和27年発表の曲です。作曲は江口夜詩。リアルタイムで聞いていませんが、妙に耳に残る曲です。
春日 八郎(かすが はちろう、本名:渡部 実 (わたべ みのる)、1924年10月9日 – 1991年10月22日)は、福島県河沼郡会津坂下町塔寺出身の演歌歌手。ここで紹介している『赤いランプの終列車』や『お富さん』『別れの一本杉』などが有名です。
実家は麺類製造業。浅草でクラシックの正統派・藤山一郎のステージを見て歌手に憧れます。
旧制会津中学校を中退し、エンジニアを志して13歳で上京。しかし、歌手の夢を捨てきれずに東洋音楽学校へ入学。卒業後は会津若松陸軍第29連隊に入隊し、終戦後に台湾より復員。
その後はムーラン・ルージュ新宿座に入団し、渡部勇助の名で本格的に歌手活動を開始。初めからヒットに恵まれるはずもなく、苦しい時代をすごします。退団後の1948年、キングレコードの第1回歌謡コンクールに合格し、歌川俊の名で準専属歌手となります。
準専属の歌手は無給だったため、先輩歌手・三門順子の前座で歌ったり、新人の登竜門といわれた新宿の「聚楽」で仕事をしたりという生活でしたが、それでも赤貧を洗う生活だったため、ついには進駐軍のPX商品を歌謡関係者に売る闇商売に手を出していたこともあったということです。
そんな下積みが3年続き、同じく準専属であった妻・恵子に紹介してもらった作曲家・江口夜詩の家に毎日のように通い、掃除をしたり肩を揉んだりしながら、曲を作ってもらえるよう願い続けました。
江口に「低音が出ないし、声が細い」と指摘されると、河原に出て土砂降りの中で発声練習をしたりと必死の努力が実り、ようやく新曲『赤いランプの終列車』を作曲してもらうことになったのです。
『赤いランプの終列車』を吹き込んだ春日でしたが当時無名の自分が売れるわけは無いと、ヒットしなかった場合を想定して新聞社に入ろうと、履歴書まで書いていたといいます。
作られてから1年後の1952年に、『赤いランプの終列車』は発売され、50万枚の大ヒットとなります。