楽譜のご紹介
昭和62年のヒット曲です。その2から3年前、『俺ら東京さ行ぐだ』でブレークしたので、覚えていたのですが、曲調の違いに同一人物が作ったとは思わなかった記憶があります。
それに、これほどなまって平気で歌っている歌い手はいなかったと思います。新沼謙治にしろ、千昌夫にしろ、それなりになまりを抑えている感じがありました。
更に演歌というと、大御所の先生について修行するというイメージがあったものを全く覆すスタイルで、妙な苦労話が伴ったそれまでの演歌歌手とは違い新鮮さを感じたということがあったと思います。
確かこの時あたりで、カセットテープからCDへ転換していく直前だったと思います。自宅で使えるカセットテープ式のカラオケセットというのも、ずいぶん普及していたと記憶しています。
ちょうどこのころ、個人的にはほぼ休みがなく、365日中350日ぐらいは仕事をしていました。たまった休日は年間20日にもおよび、休みで出勤した日数も数えきれず、バブルのただなかを、浮かれ気分とは全く無縁の状態で過ごしていました。あと数年この状態が続いていたら、おそらく体を悪くしていたろうと思います。この曲の前奏や、さびの部分を聴いて、疲れ切った体にきくいい曲だなあと、思った記憶があります。
そんなことはともかく、いつものように、楽譜をチラッと見ていただきます。
楽譜はトランペット、トロンボーン、アルトサックス、フルートの順に並んでいます。楽譜をクリックすると販売サイトに飛びます。
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演奏例
吉幾三 雪国 演歌百撰
曲の由来
1984年末から1985年にかけて『俺ら東京さ行ぐだ』がヒットしたことから、吉幾三には最初コミックソング歌手のイメージがありました。これはもしかしたら、そのすこし前に登場したサザンの桑田佳祐のヒットパターンと同じです。つかみは、「勝手にシンドバット」で、その先に「エリーマイラブ」がアルという図式です。
そうもくろんだかどうかは定かではありませんが、おそらくそうだと思います。そして、このヒットにより、認知から人気に代わったのだと思います。