楽譜のご紹介
谷村新司「昴」は、1980年に発売された谷村新司の代表曲の一つです。自身最高となる60万枚の大ヒット曲となり、1987年には紅白歌合戦に初出場しました。歌詞は谷村新司自身が引っ越し中にダンボール箱に書いたもので、昴というのはプレアデス星団の和名でもあります。曲は映画『天平の甍』の宣伝のために制作されたものでしたが、完成が遅れてニッカウヰスキーのCMソングに起用されました。日本だけでなく、アジア各国でも人気があり、上海万博の開幕式やカンボジアのシハヌーク殿下の晩さん会などで歌われました。
谷村新司さんの「昴」が中国で人気があったのは、1980年代のことです。当時の日中関係は、平和友条約の締結や円借款の供与などで友好的なムードが続いていました。しかし、歴史教科書の記述や靖国神社の参拝などで摩擦も起きていました。日中関係は「政冷経熱」と呼ばれる時期でもありました。
当時の中国に抱いていた私のイメージは、昔は偉大な国で、日本の先輩だったが、今は後進国となったという感じでした。決して悪いイメージは持っていませんでした。隣人が困っていたら助けるのが当たり前だろうと漠然と思っていました。事実、経済的にはかなり支援もし、技術の移植や指導なんかもあったのだろうと思います。
もとをただせば、1972年に中華人民共和国と国交を樹立し、平和友好条約を結んだことからはじまります。当時の都内の食品スーパーなんかにも、中国の食品なんかが輸入コーナーに並んでいました。まだ、経済自由化前だったので、信頼できる産物でした。綿製品なんかも輸入されて、どこのスーパーに行っても超しっかりとした軍足が束で、極安で売っていました。ただ、こんなものしか輸出品がないんだと思ったのも事実です。
この当時、衣料品の仕入れ担当をしていた人が、中国に行って買い付けをして、ホテルにもどり、飲みかけのボトルや、その他のものを諸々不要なものを残して、ホテルを後にしたそうです。すると、そのホテルの人が、必死になって追いかけてきたそうです。なぜか。それだけ、当時の中国人は実直だったと本人は言っていましたが、心の中で、それは違うだろうと思っていました。何度も何度もその話を聞かされるたびにそう思いました。要は、密告社会だからでしょう。その中国人があらぬ嫌疑をかけられるからです。以下に国家権力が強かったか!!
しかし、それでも私の中では、「ヨーロッパの没落」、日いづる国の興隆を願っていたので、極東でのこのような政治的な交流というのは何ら否定するものではなかったと思います。もしろ、アメリカの日本車排斥やら何やらを聞くたびに、欧米人とのメンタリティーのえげつなさ、その違いを感じ、いやな感じで見ていました。
そのベースには、中国人も日本人と同じメンタリティーであるに違いないと思っていたということがあると思います。今となっては、甘かった。多くの日本人は甘かったと思います。そんな雰囲気がこの曲に感じられます。それもこれも、やはり、戦後教育の底流にあった、左翼的な志向が影響していたのかもしれません。まあ、ちょっと長くなりましたが、楽譜をほんの少しご紹介します。
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