この動画の目の吊り上がり具合が石原裕次郎さんのようでもあり、当時のはやりの顔の一つの類型を示しているようでもあり興味深いと思います。頬骨が高く、目が吊り上がっている、石原裕次郎さんのような顔をした男優がいっぱいいましたが、そういった意味では、女優では吉永小百合さんだったのでしょうか?時は移り、人の好みも変わっていくのだと改めて思います。
楽譜のご紹介
今回は、『寒い朝』吉永小百合と和田弘&マヒナスターズです。リリースが1962年ということで、私は小学生でした。厳寒の地に住んでいましたので、『心ひとつで…』というところが、結構、記憶に残っています。
父からも戦前の教育の延長になるのでしょうか、『心頭滅却すれば火もまた涼し』などということを何度か聞かされていましたので、そんなものかと思っていました。また、当時の世相としては、我慢することが美徳という流れがまだまだあったように記憶しています。この曲とセットで記憶にあるのが、倍賞さんの『下町の太陽』という曲です。さらにヨイトマケの歌がヒットしたのもこのころだったように記憶します。社会全体にまだ、社会主義的な志向が存在したことに起因してたのかもしれません。社会主義の崩壊後は、うっすらと存在していたそのような清貧の礼賛というのは、バブルとともに消え去り、強者必勝にとってかわったように思いす。楽譜のさわりですがこんな感じです。
楽譜はトランペット、トロンボーン、アルトサックス、フルートの順に並んでいます。楽譜をクリックすると販売サイトに飛びます。
販売サイトのご案内
販売サイトはこちらです→https://store.piascore.com/scores/26661
Piascoreという楽譜専門販売サイトになります。楽譜の見本はトランペット用ですが、アルトサックス、フルート、トロンボーンの楽譜もございます。
演奏例
曲の由来など
「寒い朝」は1962年4月にビクターレコードから発売されました。これが、吉永小百合さんの歌のデビューになります。バックコーラスは和田弘とマヒナスターズで、女性ボーカルのバックを努めて他の女性歌手のヒット曲を送り出しています。吉永小百合さんはその後、「いつでも夢を」などで大ヒットを放ちます。
もちろん、映画でも大活躍でした。といっても、ほとんど見てません。まだ、小学生の低学年ぐらいの時ですから、私より5才ぐらい上の、兄が結構気に入っていた女優さんでした。というか、今なら超人気のアイドルという位置づけが出来たのではないかと思います。
ちょっと違うのは、今のアイドルが、そこら辺にいるような子なのに対して、滅多にお目にかかれないような銀幕のスターという感じです。素材自体が違うというのがすぐにわかるという感じです。今のアイドルは、ある人は整形(明らかに顔のバランスがおかしい)しているでしょうし、ある人はかなり進歩した化粧技術に助けられていると思います。なぜ、アイドル?という人もいますね。
その後、数年たって吉永小百合さんは早稲田大学に進学されましたが、才色兼備のイメージを決定的にし、「サユリスト」といわれる言葉ができました。「アムラー」などという言葉がありますが、これは、女性が女性にあこがれている状態ですが、「サユリスト」は主に男性でした。今は、女優さんやアイドルも大学へ行くというのが普通になりましたが、当時は珍しいことだったと思います。