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【奏法さすらい記】ハイジャンプとトランペット 無理なものは無理、しかしあきらめる必要もない

奏法さすらい記

昨日は雨が少々ぱらつく中、練習をしました。いつもの公園で・・・。こういう天気は大歓迎です。なぜなら、人が少なくなるということと、太鼓などの打楽器の練習をする人がいなくなるので、集中できるからです。

ところで、最近、よく思うのが、トランペットですばらしい演奏を見たり聴いたりして、そのようになりたいという気持ちを持つ、このことと、なれない自分という現実を考えたときに、どのように考えればいいのだろうかということです。そんなときに思い出すのが、走り高跳び、つまりハイジャンプと似ているのではないかということです。

ハイジャンプならば、たとえば、2Mを飛べないと話になりませんが、普通の高校生なら150CMがせいぜいでしょう。チャレンジさえしないと思います。まず、クラスに2Mも飛べる人間はいないはずで、自分が出来ることとは普通、考えないでしょう。もし、学校の中でハイジャンプで記録を残すようなものがいても、その体型がハイジャンプに向いているということが多いはずで、自分はそのような体型ではないと、直ぐに気づくはずです。

ところが、トランペットの場合、見た目の差がないので、ハイジャンプのときのようなあきらめの気持ちからのスタートが切れないのかもしれません。本当は、ハイジャンプのように、相当な個人差があるのではないかと思うときもあります。というのは、あるプロが教える方法では、普通に口を閉じて、息を普通に吐き出すだけで、音が出るということをいい、そして、無理やり口を作ってはいけないということを言う人もいるからです。そして、いとも簡単に、超絶技巧を「ほらね・・。」とばかりに示して(私にとっては得意になって調子に乗っている人)いる人もいるからです。

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このことを冷静に考えてみると、ハイジャンプで2Mをらくらく超えるような人が、150CMしか飛べない人に、何をアドバイスできるのかということです。何を教えても、それはヒントにもならないと思うのです。そう思いませんか。

しかし、一方で歴史的に蓄積されたノウハウというのもあるわけで、それを否定するわけではありません。しかし、だからといって、2Mを超えるハイジャンプが出来ることを約束するものではないのです。そのぐらいの差がトランペットにおいても、突き詰めるとあると考えています。それが現実だと・・・。

もし、この仮説が正しいとするならば、私に出来ることは、150CMから1CM刻みで記録を伸ばすということに集中することだと思います。最終的には160CMで記録は終わるかもしれません。しかし、先のことは判らないということもあります。もしかしたら、私がベリーロールも背面とびも知らない時代のハイジャンプの方法をとっているかもしれないと思うこともあるからです。

だから、逆説的ではありますが、情報を収集すること自体は大切であり、人から習うのもその一環として重要だと思います。

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