楽譜のご紹介
この曲は、昭和12年1937年にリリースされた曲です。作曲は服部良一さん。もちろん歌っていたのは、淡谷のり子さんでした。当初は、ソプラノで売っていた淡谷さんにはキーが低すぎるということで、いろいろすったもんだがあったようですが、結局、元のキーで歌うために、一日中タバコを吸って声をからしてレコーディングに臨んだということです。なぜ、低い声で歌ってほしかったかという理由は、この記事の最下部に示します。
この年は春先に盧溝橋事件がおこり、その後本格的に日中戦争となっていく時代です。この曲のちょっと退廃的な感じが時代に合わないというレコード会社の思惑もあり、それほど積極的ではなかったのだそうです。そして、曲もそれほどヒットしたわけでもなかったのです。しかし、意外なところから火が付き、大流行となります。それは、上海とか、満州のほうで大流行となったということです。
また、当初はジャズのことをいろいろ勉強してこの曲に取り組んだ服部良一さんは、この曲を「本牧ブルース」としていました。それは、ブルースというからには、米国と同じようなシチュエーションを考えるのであれば、当然でしょうが、全国的には無名の地名ということで、その後「別れのブルース」という風に改題されたそうです。
そんな戦前の話があっての、その後の淡谷さんの姿を戦後生まれの我々が見ていたということです。それでは楽譜をちらっとご覧ください。
楽譜はトランペット、トロンボーン、アルトサックス、フルートの順に並んでいます。楽譜をクリックすると販売サイトに飛びます。
楽譜販売のご案内
こちらの楽譜は楽譜販売専門サイトPiascoreのこちらで販売中です。楽譜の見本はトランペット用ですが、アルトサックス、フルート、トロンボーン用の楽譜もございます。
演奏例
こんな歌手のイメージにしたかったという服部さんの思惑があったということです。