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【無料楽譜】ロシア民謡「さすらいのギター・満洲の丘に立ちて」(On The Hills of Manchuria)

世界の名曲集
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楽譜のご紹介

この曲は、原題が『The Hills of Manchuria』 (ロシア語: На сопках Маньчжурии, Na sopkah Manchzhurii) あるいは『On The Hills of Manchuria 』です。元々はロシア人作曲家、イリヤ・アレクセービッチ・シャトロフ( Ilya Alekseevich Shatrov)が、1906年に作曲したワルツです。シャトロフはE♭マイナーでワルツのテンポですが、民謡としては、Fマイナーが一般的です。

 満州の丘に立ちてという内容ですが、さすらいのギターとして、戦後フィンランドのバンドが演奏したのをベンチャーズなんかも演奏していました。どおりで耳に残っていると思いました。そして、このロシアの民謡は、日本軍に敗れたロシア兵の悲哀を歌ったものなのだそうです。

 満州といえば、一世代前までは、日本人居住者もいたわけです。私の叔母もそうでした。結構羽振りもよかったものが、丸裸で日本に帰国したんだそうです。叔父のほうは、ソ連軍に連れられて行ったそうです。幸いにも戦後日本に帰ることができましたが、小さい子を失ったそうです。

 当時、今のように、流通、交通、通信が発達していませんので、孤立した日本の取る道は直接、海外進出し、食料と資源を取りに行くことしかなかったんだと思います。また、満洲は中国のものでも、ソ連のものでも、日本のものでもない真空地帯だったということも考慮すべきだと思います。そういう時代に大きく取り込まれた世代が一つ上の世代だったのでしょう。今の中国がかつてのソ連邦のように、そうならないことを願うしかないです。

 この曲の舞台は1900年初頭のロシア軍と日本軍の戦いです。場所は満州の奉天。題名も『マンシューリの丘の上のモクシャンスキー連隊』というワルツの題名になっています。それは、満州の奉天( Mukden)での日本軍との戦いについて起こったことに言及するもので、ロシア軍は悲劇的な最後となったその内容です。モクシャンスキー歩兵連隊は日本軍にもかなりの数の犠牲者を出しながらも、日本軍に11日間もの間、取り囲まれていました。その状態は、詳しくはわかりませんが、たぶん、その後の第1次世界大戦と同じならば、塹壕で悲惨な死を遂げるという感じではないかと思います。内容は、戦友が次々、死んでゆき、故郷と親を思い涙にくれるという感じの内容のようです。作曲者のシャトロフはこの戦争が終わった後、バンドマスターと作曲家として生計を立てますが、連隊が1906年にサマラ( Samara)に駐留していた間にOskar Knaube (1866-1920)と知り合って、作曲などの援助を得ます。

 『満洲の丘に立ちて』”On the Hills of Manchuria” は大成功をおさめ、82種類ものちがったバージョンを発行しました。すぐ後に、詩人のステファン・ペトロフ(Stepan Petrov)、ペンネーム Skitaletsとして、詞をつけました。オリジナルの詞は満州に眠る敗戦兵士についての内容でしたが、第二次大戦後は違うものになりました。

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 そんな曲の背景があって、それから、50年後になってもう一度日の目を見たというのがこの曲だったわけです。その間の世界情勢の変化は信じられないぐらいのもので、今、高齢者になっておもうと、私が過ごした50年以上に生と死について真剣に考えねばならなかった時代だったといっていいと思います。

 『さすらいのギター』というのは、いつものように、当時の日本のレコード会社が売れるようにつけた題名だと思います。とても、満州の丘に立ちてなんてストレートの題名を許されるものではないでしょう。しかも、さすらいの用心棒、さすらいのトランぺッター、さすらいの・・・などなそど、いい加減な題名をつけることにおいては、今の中国のコピー商品に匹敵するぐらいのものでしたので…。本当はワルツの曲です。こんな感じ。

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アルトサックス楽譜

フルート楽譜

演奏例

よくよく聞くと、ショースタコビッチのワルツ第2番に似ていませんか。

André Rieu – The Second Waltz (Shostakovich)

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