楽譜のご紹介
この曲は、メキシコのロレンソ・バルセラータ(Lorenzo Barcelata, 1898年7月24日 – 1943年7月13日)によるものです。彼は、音楽を好んだ家庭に生まれました。14歳の時に”Arroyito”という題の曲を作曲しています。のちにタンピコへ転居し、そこで作曲家のエルネスト・コルタサルとともに”クアルテート・タマウリペコ(Cuarteto Tamaulipeco)”というカルテットを結成しました。
彼らの名声は国中に広まり、メキシコ政府がキューバに演奏旅行に送り出すと、国際的な名声を得ました。その際に彼らは52週間のアメリカ合衆国での演奏旅行の契約を結んでいます。しかし、メンバーの二人が自動車事故で重体になり、バルセラータはメキシコに帰国しました。メキシコでは彼の名声は高まっていたので、彼はカルテットを再結成することにしました。
1932年に入ると、メキシコの映画産業にも進出し、亡くなるまでメキシコでの著名な映画音楽家でした。いくつかの映画には俳優として出演しています。
彼のもっとも有名な作品はここで紹介しています「マリア・エレーナ(“María Elena”)」で、これはメキシコのエミリオ・ポルテス・ヒル大統領の妻のために作曲されました。
「マリア・エレーナ」は同名の映画にもなっています。そのヴァージョンはまたアメリカ合衆国の映画ボーダータウンのサウンドトラックにも含まれています。
のちに、英語に訳され、ローレンス・ウェルク オーケストラによって演奏されました。もう一つの英語版はジミー・ドーシーによってレコードになりました。ドーシー版は1941年のチャート1位となっています。
作曲家のバルセレイタは、残念ながら、マリア・エレーナが世界的大ヒット(1932年)になった2年後、感染症(コレラ)により、わずか45歳で亡くなったそうです。といっても当時の日本の平均寿命と同じぐらいですから、短いとは言えないかもしれません。
この曲は、半世紀ぐらい前には盛んにラジオから流れた曲でした。ちょうど学生の頃で、ポケットラジオになべを乗っけて、反響させ、ラジオで音楽を聴いていました。ギターについて詳しくないのですが、よくギター演奏で聞いた思い出があります。ちなみに、電話はもちろん、テレビもなかったので、唯一の家電品でした。今は、まるで、違う惑星に来ているみたいです。