楽譜のご紹介
この曲は、1876年11月5日にモスクワでロシア音楽協会第1回交響楽演奏会で、ルビンシテインの指揮で初演されました。これにはチャイコフスキーも出席し、「先週の土曜日、ここでセルビア・ロシア行進曲(後のスラヴ行進曲)が初めて演奏された。それは愛国的熱狂の完全な嵐を巻き起こした。」とチャイコフスキーは妹に書き送ています。
記念館の文庫の中にこの演奏会の感想が保存されており、それには「行進曲の演奏のあと、場内に起こった人々の叫び声は、とても筆には書けない。全聴衆は立ち上がり、ブラボーの叫びの中にウラー(万歳)の叫びがいりまじった。行進曲は再演され、再び嵐が巻き起こった。これは1876年の最も感動的瞬間のひとつであった。場内では多くの人々が泣いた。」と記されています。
この場内の雰囲気の背景には、1876年6月、オスマン帝国軍によってセルビアのスラヴ人キリスト教徒が多数殺害された事件に際して多くのロシア人は殺害されたスラヴ人たちに同胞としての同情を感じ、セルビアへは義勇兵が援軍として赴いたということと、その追悼という意味で作らた曲の初演ということにあります。
初めの部分だけです。全部、楽譜化するつもりでしたが、なかなか難しいので、この程度にしておきました。
≪曲のできるまでの背景≫
チャイコフスキーの親しい友人であったニコライ・ルビンシテインは、チャイコフスキーにこの事件の犠牲者たちの追悼演奏会のための作品を依頼します。愛国心に駆られて、チャイコフスキーは「セルビア=ロシア行進曲」(Serbo-Russian March)と題された作品をわずか5日間で作曲しました。この作品は1876年11月5日(グレゴリオ暦では11月17日)、モスクワで初演された後に改稿され、現在のスラヴ行進曲の原型となったものです。
チャイコフスキーはこの作品の主題にふたつのセルビアの民謡を用いている。また、この作品に含まれる主題群のなかにはロシア帝国国歌『神よツァーリを護り給え』(ロシア語: Боже, царя храни)が含まれています。そのため、旧ソ連時代にはこの部分がミハイル・グリンカの「皇帝に捧げた命」の一部に差し替えられた版が作成され、ソ連のオーケストラによって演奏されていました。
スラブ行進曲ということですが、アラビアやトルコなどとどこが違うのかがよくわかりません。なんかみんな蛇使いの音楽に聞こえます。
トランペット楽譜
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トロンボーン楽譜
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アルトサックス楽譜
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フルート楽譜
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