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【無料楽譜】チャイコフスキー作曲弦楽四重奏曲 第1番 ニ長調 Op.11 第2楽章アンダンテカンタービレ(Andante cantabile – Tchaikovsky)

クラシック曲集

曲の由来

 1865年にサンクトペテルブルク音楽院を卒業したチャイコフスキー、この時25歳。ニコライ・ルビンシテインの要請を受け、ルビンシテインの創設したモスクワ音楽院の教師に赴任し、後任の指導に当たりつつ作曲活動を行っていました。生計は楽ではなかったが、少しずつ作曲家としての実力・評価を高めてきていたので、ルビンシテインはチャイコフスキーに、自作によるコンサートの開催を勧めます。経費その他も配慮して小ホールでの演奏会になわれましたが、それに向いたプログラムを組むのに曲数が足りなかったので、急遽作曲されたのがこの弦楽四重奏曲である。それが、1871年31歳の時です。

≪トルストイも感動の涙≫

 1876年12月にモスクワ郊外の領地ヤースナヤ・ポリャーナから久々にモスクワに来たレフ・トルストイに敬意を表して、ニコライ・ルービンシュタインは特別音楽会を催しました。この時にはこの曲も演奏されたのですが、アンダンテ・カンタービレが演奏された時、チャイコフスキーの隣に座っていたトルストイは感動のあまり涙を流した。

 このことをチャイコフスキー自身は、10年後の1886年7月2日の日記に「あの時ほど、喜びと感動をもって作曲家として誇りを抱いたことは、おそらく私の生涯に二度とないであろう」と記しています。

 トロイメライがそうであったように、小学生のときに、いつも放課後の時間に下校を知らせる曲として流れていました。学校があるときには、登校と下校のときに必ずクラシック音楽が流れていました。誰が考えてやっていたのか知りませんが今考えるとありがたいことでした。

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 昔は音楽を聴くのはラジオぐらいしかなかった時代ですので、貴重な音楽体験だったのだと思います。子供は子供ながら、いろいろなことがありましたので、その時々の心象風景と音楽が絡み合って思い出されます。時には悲しすぎると思い、やめて欲しいと思ったこともありました。

 この第2楽章のアンダンテカンタービレーですが、アンダンテはわかっても、カンタービレーとは何なの?『のだめカンタービレー』というのもあったけど、どういうこと?という疑問があり、調べました。というか、昔、日本の楽器メーカーで、ポケットトランペットを作っていたところの商品名がカンタービレーということで、どういう意味?と思っていたのが、その疑問のルーツでしたが、そのまま時が過ぎ去りました、約60年ちかく。

意味はイタリア語で『歌いやすい、歌える、歌うように』などの形容詞のようですが、名詞の場合は『歌うように演奏される曲』という意味があるようです。

よだれを流しながら、ショーケースにあったカンタービレーと名付けられたポケトラを見ていた十代のころ、どんな楽器なのだろうと思って、想像をたくましくしていました。その後、十数年ぐらい前に、よく売れているポケトラを買ってみましたが、遊び道具としか言えないものでした。これで、トランペットを練習してはいけません。確かに、高音なんかも楽勝に出るのですが、音程をとるのが難しく、自己満足するにはいいですが、おもちゃです。

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演奏例

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