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【無料楽譜】チャイコフスキー弦楽セレナーデOp.48 第2楽章(Tchaikovsky Serenade for String Mov2)

クラシック曲集

 弦楽セレナード ハ長調 作品4 8は、ピョートル・チャイコフスキーが1880年(40歳)に作曲した弦楽オーケストラのための作品です。チャイコフスキーの代表作の一つとして広く親しまれています。特にこの第2楽章はCMなどでも繰り返し使われています。この作品は、チャイコフスキーがモスクワ音楽院に着任した時から音楽院でチェロの教授であった親友コンスタンチン・アルブレヒト(1836年 – 1893年)に捧げられたものです。

 作曲したチャイコフスキーの生涯で、他の作曲家と違うのは、もともとは役人だったということです。それも高等教育(法律学校卒)を受け、法務省出身です。本格的に、音楽教育を受けたのは、20歳を過ぎてからになります。音楽教育を4、5年受けて、そのあとすぐに音楽講師になるというから、やはり自他ともに認める才能と高い知性があったのだと思います。23歳から音楽に専念し、35歳の時にピアノ協奏曲第1番を作曲しています。その間、教鞭をとりながら、作曲活動を始めました。その5年後にこの曲を作曲しています。

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≪チャイコフスキーの死因≫

チャイコフスキーは1840年に生まれ、ちょうど40歳になる1880年にこの曲を作曲しています。それまでの生涯については、フルートのところに書きましたので省略します。そして、この13年後(53歳)に亡くなります。

ただ、普通の亡くなり方ではなく、死因がいろいろ言われているところがまた、他の音楽家と違うところです。急死の原因は主にコレラによるとする説(発病の原因として、観劇後の会食時にイタリアン・レストランで周りが止めるのを聞かずに生水を飲んだことが理由とされる)が死の直後からの定説ですが、直接的な死因は、死の前夜10時頃に併発した肺水腫であることが分かっています。そのほかには男色のもみ消し工作のために、自殺を強要されたというものもあるようですが、今はコレラが原因ということらしいです。

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≪18世紀を通じたコレラの猛威≫
コレラというと南方の病気という認識がありますが、1800年代は世界的な流行となりました。元々の発生源はインドのガンジス川ということですが、1817年にカルカッタでまず発生し、アジア、南北アメリカ、ヨーロッパまで拡大していきました。

日本でも断続的にコレラの流行が確認されています。この大流行の背景には、産業革命によって蒸気機関車、蒸気船など交通手段が格段に進歩し、また、インドの植民地化をはじめ世界諸地域が経済的、政治的にたがいに深く結びつけられたことがあります。結局、19世紀の間、断続的にコレラは流行し、やむことはなかったということです。コレラの流行を防止するため、下水道の整備など大都市における公衆衛生政策が発達し、ゴミ箱が普及し、検疫体制が整備されて、その多くは現代にも引き継がれているわけです。

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演奏例

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