曲の由来
1830年10月から翌1831年4月にかけて、メンデルスゾーンはイタリアに旅行し、ローマでは謝肉祭や教皇グレゴリウス16世の就任式などを目にしています。その間にこの曲の着想を得て、作曲に取りかかったことが彼の手紙などから分かっています。しかし曲は旅行中には仕上がらず、一度は中断することとなります。
1832年の11月、メンデルスゾーンはロンドンのフィルハーモニック協会から交響曲、演奏会用序曲、声楽曲各1曲の作曲依頼を受けました。これを快諾した彼は放置していたこの交響曲の作業を1833年1月に再開して3月には完成。演奏会用序曲『フィンガルの洞窟』と共にフィルハーモニック協会に提出しました。メンデルスゾーン24歳のときです。
この曲は50年近く前、初めてのボーナスで買ったレコードプレヤーで聞いた第一号のクラシック曲でした。しかし、当時は今のパソコンの外付けスピーカーにも劣るような質の悪いもので、19800円もしました。聞こえない音だらけだった記憶があります。やはり、当時はクラシック音楽鑑賞は高嶺の花だったということ、つまり金のかかる趣味だったということです。