曲の由来
この曲は、1852年に スティーブン・フォスター(Stephen Foster)によって作詞・作曲され、1853年に出版されたものです。1928年3月19日には公式州歌としてケンタッキー州議会により採用されました。
州北部の町バーズタウンにあるフォスターの従兄弟で法律家のジョン・ローアンの家が、この「我が家」のモデルといわれています。しかし、フォスターがその時期に彼の家を訪ねたという証拠がなく、これを疑問視する声もあります。
「ケンタッキー」の名称の採用は「故郷の人々(スワニー河)」と同様に語呂の良さで選んだのではないかとする説もあります。
オリジナルの歌詞では奴隷プランテーションの描写を含んでいたため、1986年に(州歌としては)歌詞の一節が州議会によって変更されています。1852年には、黒人奴隷問題に大きな影響を与えた「アンクル・トムの小屋(Uncle Tom’s Cabin)」が出版されており、作曲の動機になったのではないかとの説も有力です。
ケンタッキーホームの本当の意味
この曲はいろいろ裏のある曲であるらしいという説もあります。ケンタッキーの隣の州はオハイオ州。ちょうど、黒人奴隷制度を認めない州が近くにあり、このケンタッキーの我が家は、逃げてきた黒人奴隷を最後にかくまって、逃がす家だったのだということらしいのです。当初の歌の中には、黒人が喜ぶさまが表現されていたそうです。
歌詞の内容
懐かしいケンタッキーの家は日差しで明るく輝いている
夏の日、人々は皆、楽しそうにしている
トウモロコシの穂先は熟して、牧草地には花が咲いている
鳥達は一日中音楽を奏で
子供達は小屋の床を楽しそうに転げ回る
全ては幸福で輝いていた
やがて厳しい時代が来てドアを叩く
懐かしいケンタッキーの我が家、おやすみなさい!
これ以上泣かないで、私のお嬢さん
おお、今日はもうそれ以上泣かないで
私たちは懐かしいケンタッキーの我が家の為に歌を一曲歌う
遠くへ行ってしまった懐かしいケンタッキーの我が家の為に
この曲の詩を読んでみたら、結構、ジンときます。誰にも、ケンタッキーの我が家はある、そんなふうに思えてきます。なくなった父が、死の直前の1ヶ月前にリッツのクラッカーと三ツ矢サイダーを食事代わりに食べたいといったことを思い出します。直接、それにどんな意味があったのか、聞いてやることもしませんでしたが、多分、幼い日のある記憶の一こまにその情景があったのかもしれません。そんな記憶を呼び戻し、安らぎと郷愁を誘う曲です。
日本ではこの曲を聞くとケンタッキーフライドチキンとカーネルおじさんを思い出す人も多いと思います。はじめて、日本にケンタッキーが登場したのは、1970年代の中盤だったように思います。おいしかったけれど、馬鹿高いと言う感じで記憶しています。登場当初から、ケンタッキーホームのこの曲を流していましたので、刷り込まれているのでしょう。
このフォスターの曲が好きです。中学生のときに、初めてトランペット(トロンボーンから中三のとき、トランペットに変更)のソロを吹いた曲だったように記憶しています。ケンタッキー(ホーム?)マーチという名前の楽譜でしたが、少しスイング感のあるアレンジでした。
なぜ、ケンタッキーの曲なのか、今ならば、ケンタッキーフライドチキンが有名ですから、なじみがあるのですが、当時(1960年代半ば)なぜ、田舎の中学校の吹奏楽部にその楽譜があったのか分かりません。ただ、いろいろ調べたら、1954年の紅白歌合戦に藤山一郎さんがこの歌を取り上げて歌っているということがわかりました。ですからある程度の知名度は当時からあったのかもしれません。それ以外は、私の住んでいたところには米軍キャンプがあったのですが、もともと州兵が一括してその地域に派遣された経緯がありました。が、その出身地でもないのです。今となっては遠いむかしのお話で、理由が不明です。