曲の由来
この曲はモーツァルトが1786年に作曲したものです。フランスの劇作家ボーマルシェが1784年に書いた風刺的な戯曲を題材にしています。
この戯曲は、封建貴族に仕えるフィガロの結婚式をめぐる事件をとりあげています。全編を通じて貴族を痛烈に批判しており度々上演禁止に遭った危険な作品でしたが、ウィーンのブルク劇場で1786年モーツァルトが30歳の時に初演されました。
初演では、ある程度の好評を得たものの、原作の貴族批判は概ね薄められているとはいえ危険視する向きもありました。
しかし、その後再演された当時、オーストリア領だったボヘミア(現在のチェコ)の首都プラハでは大ヒットし、そのおかげでモーツァルトはプラハに呼ばれ、この地で交響曲第38番「プラハ」とオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を初演することになるのです。
フィガロの結婚とは
『フィガロの結婚』(フィガロのけっこん、伊: Le nozze di Figaro、仏: Les noces de Figaro、英: The Marriage of Figaro、独: Die Hochzeit des Figaro)は、フランスの劇作家ボーマルシェが1784年に書いた風刺的な戯曲、ならびに同戯曲をもとにヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1786年に作曲したオペラ作品(Le Nozze di Figaro, K.492)です。
オペラ作品のリブレット(台本)は、原作である18世紀半ばのスペイン・セビリアを舞台としたボーマルシェの戯曲に基づき、イタリア人台本作家ロレンツォ・ダ・ポンテがイタリア語で書いたものです。
貴族批判のおかしな劇
原作はのちにロッシーニがオペラ化した喜劇『セビリアの理髪師』(第1部 1775年 / パイジエッロ(1782年)と正劇『罪ある母(英語版)』(第3部 1792年 / ミヨー(1964年)がオペラ化)とともにフィガロ三部作と呼ばれています。 『フィガロの結婚』は『セビリアの理髪師』の好評を受けての続編ということです。正式な題名は『狂おしき一日、あるいはフィガロの結婚』(La Folle journée, ou le Mariage de Figaro)。この戯曲は1786年にパリで初演され、前作以上の評判を得たということです。
封建貴族に仕える家臣フィガロの結婚式をめぐる事件を通じて貴族を痛烈に批判しており、度々上演禁止に遭ったということです。このような危険な作品をオペラ化し、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世のお膝元ウィーンで上演できた理由は定かでないようですが、ダ・ポンテの自伝によれば、彼がうまく皇帝を懐柔して許可を得たことになっています。