ハイドン・ヘンデル・バッハというと、被り物をした機嫌の悪そうなおっさんの画像を思い出します。ヘンデルが他の2人と違うのは、音楽家の家系になかったことです。そしてまた、のちにイギリスに帰化したということです。この音楽は王様の舟遊びの時に演奏して、喜んでもらおうとして作ったように伝わっています。
ヘンデルは、1710年にドイツのハノーファー選帝侯の宮廷楽長に就いていましたが、1712年以降、帰国命令に従わず外遊先のロンドンに定住していました。ところが、1714年にそのハノーファー選帝侯がイギリス王ジョージ1世として迎えられることになります。
そこでヘンデルが王との和解を図るため、1715年のテムズ川での王の舟遊びの際にこの曲を演奏した、というエピソードが有名ですが、最近の研究では事実ではないとする考えもあります。現在確実とされているのは、1717年の舟遊びの際の演奏であり、往復の間に3度も演奏させたという記録が残っています。