楽譜のご紹介
全部で、3つに分かれてあげています。それぞれ、③-1,③-2, そして、このブログが③-3となります。
ガーシュインがポール・ホワイトマンの提案を受け、1924年、ニューヨークのエオリアンホールで開かれた「新しい音楽の試み」と題されたコンサートに向けて作曲し、そこで初演された曲です(同年2月12日)。
この曲が作られることになった発端は、1924年1月3日、他の仕事で多忙だったガーシュウィンが兄のアイラとビリヤード場に息抜きに行った際、新聞で「ホワイトマンがガーシュウィンに曲を発注した」という記事を見つけたことでした。翌日、抗議のためガーシュウィンはホワイトマンに電話をかけるも、実はこの記事はホワイトマンがガーシュウィンを呼びつけるために作った偽記事だったらしく、「新聞記事になってしまったから作ってくれ」とホワイトマンに押し切られました。
カデンツァの部分は、仕事でボストンに向かう際に乗った列車の走行音から着想を得たとされます。