楽譜のご紹介
アルカンジェロ・コレッリ(Arcangelo Corelli, 1653年2月17日 – 1713年1月8日) はイタリアの作曲家、ヴァイオリニスト。姓はコレルリ、コレルリ、コレリのようにも書かれます。
ヴィヴァルディより25年、大バッハやヘンデルより32年年長にあたります。合奏協奏曲、トリオソナタ、ヴァイオリンソナタで知られています。
彼はフジニャーノ(現在のラヴェンナ県内)で生まれました。その前半生については全く知られていません。コレッリの家系についてはあまり多くのことは知られていませんが、善にもつよく悪にもつよい個性的な血族であったようです。コレッリが生まれる20年前、一族のルドルフは町の暴動の首謀者になったかどで処刑されましたが、同じ一族から僧侶、法律家、医学者、詩人などが輩出しています。
コレッリ(1653~1713)が59歳で亡くなったとき、彼は12万マルクもの大金とブリューゲルやプーサンなど貴重な絵画のコレクション(136枚)とチェンバロ1、バイオリン2、チェロ1、コントラバス1を有しており、楽しみといえば贅沢をすることのみでした。彼は自分の後援者と召使、友人に遺産を譲っていますが、友人は寛大にもその財産をコレッリの親類に返還したそうです。
音楽的には彼の器楽の作曲は室内楽の歴史に一新紀元を画し、影響は自分の国の中に留まりませんでした。ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(コレッリより32歳年下)はコレッリの作品を研究し、コレッリの作品3(1689年)の主題に基づきオルガンのためのフーガBWV.579を作曲しました。またコレッリは、アントニオ・ヴィヴァルディ(25歳年下)に最も影響を与えた人物でもあります。
ローマの音楽界は多くをコレッリに負っていました。彼は貴族社会の最上位に受け入れられ、長期にわたってオットボーニ枢機卿の邸宅で行われる高名な月曜演奏会を主催していました。
大バッハやヴィヴァルディは死後パトロンからの受けも消え失せ急速に忘れられましたが、コレッリだけはパトロンの庇護もあり、すぐに忘れ去られることはありませんでした。作品番号の記された作品はヴァイオリンの教育の現場で使われ続け、新古典主義時代にはバッハやヴィヴァルディよりもその影響が広範だったと考えられています。