作曲者の略歴
ヨハン・フリートリッヒ・フランツ・ブルクミュラー(Johann Friedrich Franz Burgmüller, 1806年12月4日 – 1874年2月13日)ははドイツのレーゲンスブルクで生まれました。父はオルガン奏者・指揮者のヨハン・アウグスト・フランツ・ブルクミュラー(1766年-1824年)で、後にデュッセルドルフ市音楽監督となっています。
1832年以降は1874年に没するまでパリを中心に活動し、ピアノの小品(「25の練習曲 Op.100」や「18の練習曲 Op.109」など)や少数のオペラ、バレエ音楽などを作曲しています。アドルフ・アダン作曲のバレエ「ジゼル」の第1幕後半に「村娘のパ・ド・ドゥ」と呼ばれる5曲からなる部分を追加作曲しており、管弦楽作品としてはこれが最も聴く機会の多いものです。他にバレエ曲「ラ・ペリ」(ポール・デュカスの作品とは別物)など。
ブルクミュラーが作曲した「25の練習曲 Op.100」は、日本のヤマハがピアノ教則本として採用しています。通常、ヤマハの生徒は8歳から10歳でこの教則本で練習を行います。
初めのところのファンファーレがなじみのあるフレーズです。トランペットはファンファーレが18番ということもあり、ファンファーレについては、よく練習することがあります。トランペットに次いでファンファーレが合うというと、トロンボーンでしょう。ただ、普通のファンファーレに多いのは、0ポジションでのものがほとんどですが、ちょっと違っています。さらに、最近は競馬のファンファーレもなんか複雑なものになっているようで、このような単純なファンファーレもあまりなくなったのかもしれません。
私の世代だとコバルトの空などのファンファーレは良く練習しました。TBSの野球中継のオープニングに使われていたということと、部活でも演奏したことがあるからです。ただ、トランペットが初めのファンファーレを吹いた後、また、途中でもう一回吹かなければならないということで、その危うさが結構ハラハラドキドキしたということがありました。