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【無料楽譜】スコットランド民謡『アニーローリー』(Annie Laurie)

世界の名曲集
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楽譜のご紹介

 アニー・ローリー、実在した美女です。その美女のために、書いた詩に、後に曲がつけられて、伝わったということです。そんな気はしましたが、この美女との結婚を断念した理由が身分のちがいだったようで、結構,定番の失恋の歌ということです。

 アンニー・ローリーは、実在する人物で、マクスウェルトン卿のサー・ロバート・ローリーの末娘だった。1682年12月16日に父親の館であるマクスウェルトン・ハウスで生まれました。スコットランド中に知られた美人だったといわれています。

 この曲のもととなる詩は、1700年ごろにフィングランドの郷紳(ジェントリー)ウィリアム・ダグラスによって書かれたものです。言い伝えによれば、ウィリアム・ダグラスは彼女に結婚を申し込んだが、歳の差、彼女がまだ若すぎること、政治的な立場の相違(氏族間の対立)などで、父親のマクスウェルトン卿から強く反対されたという。ダグラスは恋の痛手からようやく立ち直った頃に、別の女性、エリザベス・クラークという女性と出会い駆け落ちをしました。

 一方、アンニー・ローリーは、1710年にクレイグダーロックの領主アレクサンダー・ファーガソン(Alexander Fergusson)のもとに嫁ぎ、約33年間そこで暮らします。 彼女のために大邸宅が建設され、彼女の好みで作られたという庭園も残されています。マクスウェルトン・ハウスには、今も彼女の肖像が残されており、その昔ウィリアム・ダグラスの心をとりこにしたという青い瞳の佳人の姿をうかがい知ることができます。

 そんなアニーローリです。話は違いますが、江戸末期に日本を訪れたイギリスの園芸家が日本を絶賛しています。各家が家の周りを手入れしていて、非常にきれいで、まるで自分の故郷のようだという風なことを書いているのを読んだことがあります。イギリスの民謡については、どれも懐かしさを感じるのはそんな共通点があるのかもしれません。

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 個人的にはこの歌の『アニー・ロリー』の肖像画を見ても、たいして美女とは思わないのですけれど、当時は相当の美女といわれていたそうです。

 見る限り、現代的な西欧の美女とはちょっと異質なエキゾチックな感じがしています。大昔の女優のビビアン・リーみたいな感じでしょうか。彼女にしてからが、東洋系の血を受け継いでいるとどっかで読んだことがあります。金髪の美女は、もしかしたら映画文化の産物かもしれません。そもそも、本当の金髪自体が白人の中でも数%しかいないのだそうです。また、脱線しました。

 一方、曲が流行ったのはもっと後です。流行の時代背景は、クリミア戦争の頃にこの曲を含む歌集が出版され、戦地の多くの兵士たちが故郷に思いを馳せて歌ったと言われとことです。

(クリミア戦争とは)
 クリミア戦争は、1853年から1856年の間、クリミア半島などを舞台として行われた戦争です。フランス、オスマン帝国およびイギリスを中心とした同盟軍及びサルデーニャとロシアが戦い、その戦闘地域はドナウ川周辺、クリミア半島、さらにはカムチャツカ半島にまで及んだ、近代史上稀にみる大規模な戦争でした。

 この戦争により後進性が露呈したロシアでは抜本的な内政改革を余儀なくされ、外交で手腕を発揮できなかったオーストリアも急速に国際的地位を失う一方、国を挙げてイタリア統一戦争への下地を整えたサルデーニャや、戦中に工業化を推進させたプロイセンがヨーロッパ社会に影響力を持つようになりました。

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演奏例

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