楽譜のご紹介
この曲を歌詞の『雨降り』とか『お月さん』とかいうものを全く耳に残さず聞くと、とても不思議な曲で、引き込まれる感じがします。大げさに言うと、先祖返りしそうな、何か不思議な物語を聴くような感じがします。
この記事を書いて5年が過ぎましたが、何となく調べてみたら、いろいろわかってきました。まず、この曲は大正14年(1925)の作品であること。作詞者は野口雨情だったこと。この2人の作品は多数あります。この寂しげな曲の発表は、「コドモノクニ」という雑誌の正月号に載せられたのだということです。
この雑誌は1922年創刊でした。当時は、童話雑誌なるものが次々と創刊されたといいます。その多くが童画といって、挿絵が重要視されるものだったようです。そういえば、戦後ちょっとたって生まれた私の世代でも、当時、その時代のテイストを感じるような子供向けの絵などを見ることがありました。そんななかで、「コドモノクニ」はその後の婦人画報を出版するところから出て、その中の1つとして、雨降りお月さんという題名の詩が載せられたのだということです。そして、曲を中山晋平がつけることになるわけですが、後にレコード化されるに当たり、1番しかないのはどうもあんばいが悪いということで、2番以下が追加されます。同じメロディーになっていないのはそのためです。元々は別の詩の別の曲をパイナップルペンにしてしまったのです。
雨降りお月さん 雲の蔭
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
ひとりで傘(からかさ) さしてゆく
傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
お馬にゆられて 濡れてゆく
となっていますが、何のことかさっぱり想像できません。言葉通りだと、なんとなく悲しすぎる。誰も見送りもせず、誰も出迎えず、傘一本だけって、なんていうことなのだろう。傘がない時には、馬に揺られて濡れて行くんですよね。逆に、それだけ不遇な結婚、悲しい儀式ということを歌っているのでしょうか。それなら、今どきの公園婚のほうがいいでしょう。近くの公園で目撃したものですが、若いカップルが、恰好だけは結婚式の格好していますが、そこで写真を撮り、友人が数名で結婚式をしていました。別々の日に2組もそんなことをしていました。
どうやら、この歌は作詞者の野口雨情の私的な事情を映し出しているようです。雨情には2人の娘がいて、その一人が幼くして亡くなってしまいます。その子が、月にお嫁入りをしたのだという、そんな慰めをこの曲に託したのだという説があります。こちらに詳しく書いてありました。
⇒http://funahashi.kids.coocan.jp/sonota/hoka23.html