【トロンボーン用無料楽譜】チャイコフスキー交響曲第6番『悲愴』第1楽章より(Tchaikovsky Symphonie No.6Pathetique1mov)

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チャイコフスキー : 交響曲第6番 「悲愴」 第1楽章
この動画の14分40秒ぐらいからの部分です。

楽譜のご紹介

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チャイコフスキー略歴

1970年のソ連映画で、チャイ コフスキーの伝記的な映画があり、70年代中盤くらいに見に行きました。全体的にとても、重苦しい感じのする映像で、その中で、映画を通じてピアノ協奏曲第1番の異常に響くピアノの余韻が、なにかチャイコフスキーの神経質な感じを醸し出しているように感じました。そんな内容を簡単に説明します。

少年時代、母が早世して繊細な神経の少年は深く傷つきますが、音楽には深い関心を抱き、長じて世界的ピアニストのニコライ・ルビンステインが学長を務める音楽院を卒業、教授となります。しかし、彼に献呈しようとした「ピアノ協奏曲第1番」が酷評されて落ち込み、更に続いて発表したバレー音楽「白鳥の湖」も演出の失敗で不評で落ち込みます。

しかし、大富豪の未亡人ナジェンダ・フォン・メック夫人は彼の価値を信じて、以後14年間に亘って経済的援助を続けます。2人は生涯一度も会うことはありませんでした。この間、チャイコフスキーは教え子のアントニーナと結婚しますが結婚は失敗して、入水自殺を図りますが危うく救われます。

ルビンステインはその後、彼の協奏曲を認め、パリでの演奏会にはチャイコフスキーも同行して演奏しますが、その直後、パリで客死してしまいます。

彼の作曲活動のためにメック夫人はモスクワ近郊の別荘を貸与しますが、夫人からパーティに招かれた際、黙って別荘を抜け出してしまいます。この辺のところが、映画ではかなり違和感のある感じで表現されていました。もちろん、彼の行動は夫人を失望させました。また、彼女の事業の行き詰まりもあって、1890年、彼への資金援助と交際の終焉を告げます。チャイコフスキーは交際の継続を求めますが、夫人は既に心を病んでいました。

1893年、彼は「交響曲第6番“悲愴”」を自ら指揮して発表しますが、その最終楽章は悲しみに溢れたものでした。そして初演から僅か8日後、チャイコフスキーはコレラで急逝します。当時のコレラはパンデミックとなって、19世紀を通して、断続的に世界的な流行となった病気です。

ちなみに、翌年、ロシア皇帝アレキサンドロス3世がなくなり、ロマノフ王朝最後の皇帝、ニコライ2世が即位します。

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