ラフマニノフはロシア人ということはわかっていましたが、どうも20世紀の初頭のロシア革命と時代が重なって、なんとなくあいまいな人物像しかありませんでした。ということで、今回調べて、やっとすっきりしました。ロシアの音楽家というと革命との関係はどうなのかというのが一番、問題を難しくしていますが、はっきり言って、この人は革命が本格化する前にアメリカに行ってしまったということです。出身は貴族階級ですが、やや没落気味だったみたいです。子供のころからピアノがうまく、演奏家として勉強しますが、それだけでは飽き足らず、作曲活動をし、ある程度の成功を収めた矢先に、革命騒ぎになったようです。
ラフマニノフの作曲活動は44歳までがほとんどで、あとはピアニストとして過ごしたということです。なくなったのが70歳です。なぜ作曲をしないのかと尋ねられると、「もう何年もライ麦のささやきも白樺のざわめきも聞いてない」という風に答えたと伝えられていますが、そんなことを言ってみたいものです。革命を機に、ロシアの地を後にして、やはり郷愁もあったのでしょう。なんとなく、曲に北国ならではの透明感と空気の重さみたいなものを感じます。
このヴォカリーズというのは、『ラー、ラー・ラー』という感じの歌声で歌詞がつかないというものらしいのですが、歌声を楽器のように使うという意味では、かなり斬新で、その良さを引き出すものなのだろうと思います。60年ちかく前にはやった由紀さおりさんのデビュー曲の『夜明けのスキャット』を初めて聞いた時の驚きを思い出させます。
本家本元のスキャットというと、ルイ・アームストロングがヒービー・ジービーズという曲をスタジオで吹き込んでいた時に、歌詞を書いていた紙が譜面台から落ちてしまって、当時は一発録音で取り直しがきかなかったので、即興でスキャットを入れたというのが始まりだということです。
どちらも声を楽器のように使ったという意味では同じということだろうと思います。その他、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の一部を楽譜にした(といっても、ポップス系のアレンジのものをもとにした)物もこちらのページにあります。