『亡き王女のためのパヴァーヌ』(なきおうじょのためのパヴァーヌ、フランス語: Pavane pour une infante défunte)は、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルが1899年に作曲したピアノ曲、および1910年にラヴェル自身が編曲した管弦楽曲です。『逝ける王女のためのパヴァーヌ』や『死せる王女のためのパヴァーヌ』などとも訳されます。
ラヴェルはこの曲を自身のパトロンであるポリニャック公爵夫人に捧げ、1902年4月5日、スペインのピアニスト、リカルド・ビニェスによって初演されました。
この曲は世間からは評価を受けたが、ラヴェルの周りの音楽家からはあまり評価されませんでした。ラヴェル自身もこの曲に対して、「大胆さに欠ける」、「シャブリエの過度の影響」、「かなり貧弱な形式」と批判的なコメントをのこしています。その後行われた演奏もテンポが遅く、だらけたものでした。
パヴァーヌとは
パヴァーヌとは、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパの宮廷で普及していた舞踏のことです。
また、「亡き王女」とは、原題の内のinfante défunteに該当し、韻を踏んだ表現が選ばれています。ラヴェルによると、この題名は「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」だとしています。よって、日本語の表記においても、「亡き王女」と表現すると、死んだ王女という意味が強くなるため、あえて漢字を使わずに「なき王女」と表記することもあるぐらいです。
défunt(e)に近い日本語の表現は「いにしへの」になります。「いにしへ」は、漢字で書くと「往にし方」であり、そもそもは「あの世へ往った=亡くなった」という意味であるがその意味は弱くなってしまい、「その昔の」という意味の方が第一義的に使われるようになったのです。よって、「いにしえの王女のためのパヴァーヌ」程度の意味が、原題でラヴェルが意図するところとなるわけです。
この古風な曲は、歴史上の特定の王女に捧げて作られたものではなく、スペインにおける風習や情緒に対するノスタルジアを表現したものであり、こうした表現はラヴェルによる他の作品(例えば『スペイン狂詩曲』や『ボレロ』)や、あるいはドビュッシーやアルベニスといった同年代の作曲家の作品にも見られるものです。
諸説ありますが、ラヴェルがルーヴル美術館を訪れた時にあった、17世紀スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケスが描いたマルガリータ王女の肖像画からインスピレーションを得て作曲した、とされています。
ホルンの出だしのところが、印象的な曲です。3.11の被害の状況などを映し出す映像とともに流されていたのが記憶に残っています。テーマのところ以外の曲の感じの出し方が難しいと思います。
ラヴェル没後の1939年に、アメリカ合衆国で本曲のメロディーをピーター・デ・ローズとバート・シャフターが「作曲」と称して流用、ミッチェル・パリッシュの歌詞をつけて The Lamp Is Low と題したポピュラーソング化、ミルドレッド・ベイリーの歌唱盤や、フランク・シナトラの歌唱によるトミー・ドーシー楽団盤、ハリー・ジェームズ楽団盤などがヒットしました。
しかしラヴェル作品の著作権を持つ遺族側には無許可の流用であったため、著作権問題から日本も含む一部の国ではこの曲のレコードが後年まで発売できない事例も生じたといいます。