曲の由来
この曲のもともとはオペラ『リナルド』(伊: Rinaldo)のなかの曲、第2幕に登場する有名なアリアです。ドイツ出身のイギリスの音楽家ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(ジョージ・フレデリック・ハンデル)の作曲したオペラです。
トルクァート・タッソによる11世紀のエルサレムを舞台にした叙事詩『解放されたエルサレム』が原作です。なお、同じ題材でヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが書いた戯曲に基づき、ヨハネス・ブラームスもカンタータ『リナルド』作品50を作曲しています。
「私を泣かせてください」(Lascia ch’io pianga) (アルミレーナのアリア)は、エルサレムのイスラーム側の魔法使いの囚われの身になったアルミレーナが、敵軍の王アルガンテに求愛されても愛するリナルドへの貞節を守るため「苛酷な運命に涙を流しましょう」と歌うアリアです。
ヘンデルの略歴
この曲を作曲したドイツ出身のヘンデルは1706年ごろからイタリアのローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアなどを旅行していました。そのときには、聖職者や貴族などの社交を楽しみ作曲はあまりしなかったものの、『イタリアオペラ』を実際に鑑賞し、そのエッセンスを吸収することができた有意義な時期でした。ドイツに帰国後、イギリスの宮廷から王室楽長就任の勧めがありました。ヘンデルは逡巡したものの、それを承諾し1710年にイギリスへ渡りました。ヘンデルがイギリス行きを決意したのには、イタリアで出会ったイギリス人の勧めがあったと考えられます。
ヘンデルが本作を発表した頃のロンドンは、ヘンリー・パーセル以来のイギリス音楽が停滞していた時期であると同時に、イタリア・オペラが少しずつ上演されていた時期でもありました。そのような時期に、イタリア帰りのヘンデルによるイタリア・オペラの形式をとった本作は、ロンドン市民に好意的に受け入れられたのです。そして、イギリスでのイタリア・オペラの地位を磐石なものにするのに大きな役割を果たしました。
大概の曲は耳でおぼえていることが多いのですが、この曲もそうです。今回改めて、この題名にちょっと不思議な感じがしました。いわくがあるという感じです。そこで調べてみたら、オペラの題名で、むしろ、涙に暮れて・・・という感じの意味です。この題名は誰がつけたんだという感じです。私が泣くのをなくままにして、ちょっかい出さないで、ほっといて頂戴という感じに近いのではないかと思います。
また、たまたま見たテレビドラマでこの曲が挿入曲で使われていて、笑っちゃいました。昔から、このとってつけたようなドラマ(主に昼メロ)が繰り返し、手を変え作られています。『薔薇と牡丹』というなんかマニアックの変態本の題名で見たような感じのタイトルです。
ちなみに原曲の訳を見てください。
どうか泣くのをお許しください
この過酷な運命に
どうか自由にあこがれることをお許しください
わが悲しみは、打ち続く受難に鎖されたまま
憐れみさえも受けられないのであれば