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【無料楽譜】ベルリオーズ作曲『ラコッツィ行進曲』(Berlioz Rákóczi March)

行進曲集
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楽譜のご紹介

 『ラコッツィ行進曲』のラコッツィとは、ハンガリーの独立に寄与した英雄を言います。

 このラーコーツィ・フェレンツ2世はハンガリーではハンガリー独立の英雄として敬愛されていて、現在のハンガリーの貨幣であるフォリント紙幣にその肖像が飾られているほどです。

 その栄誉を讃えて作られたのが『ラコッツィー行進曲』です。この曲はベルリオーズの劇的物語『ファウストの劫罰』やリストのピアノ曲『ハンガリー・ラプソディ第15番』(1851)やその管弦楽編曲版『ラコッツィー行進曲』(1865)などで使用されて有名になりましたが、他国に支配されていた間、ハンガリーではその愛国的な雰囲気ゆえ演奏は禁止されていたそうです。

 1703年、ハプスブルク家の統治に反発したハンガリー貴族が、ハンガリーの大貴族でセドミフラッツコの領主ラーコーツィ・フェレンツ2世を指導者として反乱を起こし、ハンガリーのほぼ全土を掌握しました。

 1705年、既にトランシルヴァニア公となっていたラーコーツィ・フェレンツ2世がハンガリー王に選出されます。しかし、いろいろ奮闘するも、ハプスブルク家に屈してしまったという歴史がありました。そういうことが民族の記憶として残りました。

 時が流れ、ベルリオーズが1845-46年にオーストリア、ハンガリー、ボヘミア、シレジアなどを旅しまた。ベルリオーズの回想録によると、ウィーンの宿に秘密の特使が自分を訪ねてきて、ペストでの演奏会に集まる聴衆にために何か作曲してほしいと依頼があったと記されています。その時、革命的で反ハプスブルクの思想がのある音楽素材を手渡された、それが、『ラコッツィー行進曲』だったということです。

 ベルリオーズは滞在中に次の公演地であるペスト(当時は川を挟んで「ブダ」と「ペスト」に分かれていました)で演奏するために、ハンガリーに伝わるをオーケストラに編曲し、これを『ハンガリー行進曲』として一夜で書き上げます。

 ペストでの演奏会でこの出来上がったばかりの曲を指揮したところ、大喝采を博しました。そこで、ベルリオーズは旅行中に書き進めていた劇的物語『ファウストの劫罰』に取り入れるよう思いついたとされています。

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 私は、この特徴的な行ったり来たりするフレーズを生むのに、どのぐらい時が必要だったのか、こいつだと思ったとしても、それを曲にするのには、相当の思い切りが必要だという印象を持っていましたが、実際は、ハンガリーにもともとあった、民謡のようなものだったということです。

 原曲は17世紀末期に作曲されたと見られています。作曲者は不詳ですが、無名のロマ音楽家によるとも言われています。トランシルバニアのラーコーツィ・フェレンツ2世がこの曲を大変に気に入っていたと伝えられています。19世紀初めころにはロマのビハリ・ヤーノシュ(Jánoš Bihari)が作曲者ではないかと考えられていたが、異論もあります。ここでは、ベルリオーズの作曲となっていますが、引用して自分の作品の中で使っているということです。

 ベルリオーズは彼の代表作『ファウストの劫罰』にてこの行進曲を引用したことで知られ、一般的にはこちらのほうが有名になっています。

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演奏例

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