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【無料楽譜】フォスター作曲『夢見る人』(Beautiful Dreamer)

世界の名曲集
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楽譜のご紹介

フォスターの作曲活動で主なものの最初の曲は「おおスザンナ」で、死の間際に作られたのが、この「夢見る人」となっています。元々はアイルランドからの移住で10人兄弟の末っ子で比較的裕福な暮らしをしていたようです。作曲活動だけで、生計を立てられる時代ではなかったようなので、バックアップする親族もなくなり、だんだんと貧窮して、最後はアル中がもとの、事故死で妻とも別れ一人孤独のなか、悲しい最後となります。

この曲は、1862年に作曲された歌曲です。フォスターというと、その写真から優しそうな温和な感じの人であり、曲調も穏やかなものが多いという風に思っていました。

ところが、晩年のフォスターはニューヨークのアパートに一人で住み、貧困を極めた生活を送っていたのです。妻のジェーンと別居し、アルコール依存症で酒に溺れる荒んだ生活を送っていました。

1864年1月のある朝、アパートでめまいを起こし、酔ったはずみで転倒し、身体を拭くための水を入れたガラス容器に頭をぶつけて大怪我をし、病院に担ぎ込まれたが、3日後にそのまま37歳で逝ってしまった。

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この歌曲は1864年にボンド社から出版された楽譜には、「最後の歌曲で、死の数日前に作曲された」と書かれており、「白鳥の歌」ともいうべき美しいセレナードで、フォスター晩年の傑作とされています。そんな事実を知ると、どんな気持ちで、この曲を書いたのか、ちょっとは想像をたくましくして、吹いてみたいと思います。

 フォスターは晩年、といっても37歳で亡くなっていますが、大変お金に困っていました。なぜ、たくさん有名な曲を作ったのに、そんなに貧しかったのかというと、当時の作曲家に対する認識がアメリカではまだ低く(著作権、印税の概念がない)、フォスターに与えられた報酬も少なかったということです。

 最後には、曲を作っては売りを繰り返し、版権を放棄するまで困窮し、妻も貧困の中、去り、一人孤独の中で、アルコールにおぼれ、上述したように、それがもとの事故で死んでいきます。現代から見ると中間搾取にやられちゃったというわけです。その死の直前にこの曲は作られた、ある意味、皮肉な曲です。著作権というと面倒くさい、貧乏くさい、せこい権利の主張、西洋の個人主義の悪しき流れのように思いますが、こんなこともあるのだと改めて思ったりします。

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演奏例

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