『南国のバラ』(なんごくのばら、ドイツ語: Rosen aus dem Süden)作品388は、1880年にヨハン・シュトラウス2世が作曲したメドレー形式のウィンナ・ワルツ。作曲者の「10大ワルツ」のひとつに数えられています。
1880年10月1日、ヨハン・シュトラウス2世(1825年10月25日 – 1899年6月3日)は自作のオペレッタ『女王のレースのハンカチーフ』を初演しました。イタリア国王ウンベルト1世はこのオペレッタを大変気に入り、やがてそのことがヨハン2世の耳にも伝わります。ヨハン2世は即座にこのオペレッタに登場するモチーフを編曲し、地中海沿岸に位置する南国イタリアを思わせる『南国のバラ』という題名のワルツにし、これをウンベルト1世に献呈しました。
1880年11月7日に弟エドゥアルト・シュトラウス1世の指揮するシュトラウス管弦楽団(ポルトガル語版)によって、ウィーン楽友協会において初演されています。
この曲の題名の『南国』の部分からイメージする花は、やはりハイビスカスですが、それでは、この『バラ』というと、どこら辺の南国をイメージしているのかというのが気になっていました。どうやら、上記のように、イタリア国王からの賛辞で、気をよくして、イタリアの南部の沿岸部分を南国といっていることがわかります。そして、そこに咲くバラをイメージしているのです。
ばらは西欧ではギリシャ・ローマ時代からずっとテーマにされ続けている花です。日本ではそれほどもてはやされたりはしないのですが、日本の夏の時期ですと、アジサイ的な感じと、春先の桜の感じが合わさったようなものなのなのでしょう。曲からのイメージとしては、南国イタリアの風にそよぐようなバラの花があるように思います。
もっと詳しくバラをたどっていくと、ギリシャ時代にその記述は始まります。そして、エジプトのクレオパトラがこよなくバラを愛していたということもあり、その後、ローマ帝国の中にもブームが来ます。そして、皇帝ネロはバラ狂いといわれるほど趣向を凝らして、バラにのめりこんだといいます。
時代は下って、十字軍の遠征により、小アジアのバラの品種がヨーロッパ全域に広がりました。その後、中世に至ると、そのバラに特殊な意味を込めるようになります。つまり、マリアの血としてのバラ。そんなことで、教会でしか栽培できないような位置づけを与えられ、一般的なものでなくなります。
やはりそのほかの風俗同様、ここで、ルネッサンスの時に再び、バラが解放されます。そして、19世紀になって飛躍的に栽培方法と品種の拡大が起こり一大ブームになったのでした。そんな西欧社会とバラの関係があったわけです。
子供のころ見た映画でハリウッド映画だったと思いますが、青いバラを題材にした映画がありました。ストーリーは全く覚えていませんが、お姫様ふうの奇麗な女性にやっと探してきた青いバラをささげるといったような感じのものでした。自然界では存在しえない青いバラは、しかし、20年ほど前にサントリーが開発してニュースになっていました。