この「アンネン」という言葉は「アンネの」というぐらいの意味だそうです。続けてアンネンポルカという響きが生理用品メーカーを連想してしまいます。1852年に作曲されたこの曲ですが、ちょうど日本にペーリーが来る1年前ということになります。
同年にプロイセン王国へ演奏旅行に出かけた際、ヨハン2世は「アンネン・ポルカの作曲家」として紹介された程、曲のほうも有名になっています。ヨハン2世は1856年にロシアの鉄道会社と契約を結び、夏のシーズンにはパヴロフスクの駅舎で演奏会を指揮するようになりました。この初めてのロシア公演の際にも同様に、ヨハン2世は「アンネン・ポルカの作曲家」として紹介されています。
なお、父のヨハン・シュトラウス1世も同名の『アンネン・ポルカ』を1842年に作曲しており、こちらも有名な作品です。
ヨハンシュトラウス・・、この名前は良く聞きます。しかし、どの時代に生きていたのか、事態背景を少し。
まず、オーストリアの人です。そんなことは知っている、と思うかたが大半だと思います。話は、父のシュトラウスのときですが、ヨーロッパにナポレオン旋風が巻き起こりました。ナポレオンが神聖ローマ帝国の系譜を連想させる『皇帝』を名乗りました。そこで、神聖ローマ帝国の皇帝の血筋のオーストリアあたりで、皇帝を張っていたフランツ2世がこれはまずいと、さっさと皇帝の座を降りたのです。
しかし、ただでは降りない。名前を変えて「オーストリア皇帝」に即位という発想の転換でナポレオンの機嫌をとったということらしいです(オーストリアのこの体制は第一次大戦まで続くのです)。
ナポレオンが去って、危機が亡くなったあとの時代にその皇帝のお后がマリア・アンナであり、そのアンナさんのポルカというのがこの曲の意味だという説は、どうも父親も同じアンネンポルカと題する曲があるので、そっちのほうの由来です。こちらとは違う。
息子の2世が作ったのは、それとは違い、聖アンナ祭に絡んで作られたもので、同じ名前でもちょっと意味が違うようです。まあ、ややこしい。
1852年の聖アンナ祭(7月26日、アンナは聖母マリアの母)の前夜祭に、ウイーン2区のプラーター遊園地内の4番地に当時存在していた娯楽施設レストラン『ツム・ヴィルデン・マン(荒くれ男亭)』の中庭で開催された「森の音楽祭」で初演され、人気を博した曲です。聖アンナ祭のために作曲されたことは疑いないが、ヨハン・シュトラウス2世にはややマザー・コンプレックスの気があったとされるため、同時に愛する母アンナ・シュトレイムにひそかに捧げたものともいわれるそうです。