この菩提樹という曲は、シューベルトの歌曲集の『冬の旅』の中の第1部5曲目にあたる曲です。全体的に暗く絶望的な雰囲気に包まれた音楽(全24曲の内16曲が短調)の中で時に長調の部分が現れるますが、それは幻想かイロニーに過ぎず、全24曲を通して甘い感傷に陥ることがありません。
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウは「演奏家はリーダーアーベントに審議的喜びだけを期待する聴衆に配慮せず、この曲が正しく演奏された時に呼び起こす凍り付くような印象を与えることを怖れてはいけない」と語っています。つまり、まさに『冬の旅』…絶望の旅なのか、シューベルトが死を意識した時のものであるといわれています。作曲した翌年亡くなっています。
この曲を作るまでのシューベルトの健康は、1823年に体調を崩し入院して以来、下降に向かっていました。友人たちとの交流や旅行は彼を喜ばせましたが、体調は回復することはなく、経済状態も困窮のまま、性格も暗くなり、次第に死について考えるようになります
シューベルトには10代の頃から死をテーマにした作品があり、家族の多くの死を経験したことからも死についての意識は病気以前からあったと考えられています。マイアホーファーはシューベルトが『冬の旅』の詩を選んだことを『長い間の病気で彼にとっての冬が始まっていたのだ』と回想していますが、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウはこれについて「原因と結果を混同している」と指摘しています
とりわけ、ベートーヴェンの死は、彼に大きな打撃を与えました。シューベルトがミュラーの『冬の旅』と出会ったのは、1827年2月のことでした。シューベルトは前半12曲を完成させ、友人たちに演奏したが、あまりの内容の暗さに彼らも驚愕したといいます。友人の一人 フランツ・ショーバーが「菩提樹は気に入った」と口にするが精一杯でした。
シューベルトはこの12曲で作品を完成としましたが、続編の存在を知った彼は再び作曲に取り掛かり、続編の後半12曲を10月に完成させます。第1部は1828年1月に出版。第2部は彼の死後の12月に出版されました。
この曲の名前はリンデンバウムとなっていて、菩提樹ではないということです。菩提樹は日本では、中国から渡ったお釈迦さま由来の木(ちなみに、菩提樹というのは、菩提がゴータマ・ブッダの別名であったボーディー から来ているそうで、要は、仏陀の木という意味なのだそうです。しかし、これも諸説あり、仏陀の木はガジュマルであるという説もあるようです。)ということになっています。そこで、各地のお寺なんかに植わっているようです。
平地が国土の1/3しかない日本においてすら、今や木の名前なんかは松竹梅と杉ぐらいしかわかりません。どれが、菩提樹なのか、ましてや、リンデンバウムとなるとさっぱりわかりません。『バウム』はドイツ語で『木』のことを言うようで、バウムクーヘンのバウムということだとわかります。では、リンデンはなにかというと、『菩提樹』となっていて、補足として、セイヨウシナノキとなっています。じゃあ両者は同じかというと、違うのだそうです。シューベルトが対象としている木はリンデンバウム、フユボダイジュ Tilia cordata と ナツボダイジュ Tilia platyphyllos の自然交配種で、ヨーロッパでは古くから植えられ、木材は楽器や木彫材などに利用されているのだそうです。
セイヨウシナノキというのが日本名のようです。