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【無料楽譜】マルチェルロ作曲オーボエ協奏曲ニ短調 (Marcello’s Concerto in D Minor Ⅱ adagio for Oboe)

クラシック曲集

 曲の由来

アレッサンドロ・マルチェッロの《オーボエと弦楽合奏のための協奏曲 ニ短調》は、1700年代初頭の作品であり、マルチェッロの最も有名な作品です。また最も有名なオーボエ協奏曲の一つです。過去においては、ベネデット・マルチェッロやアントニオ・ヴィヴァルディの作品と誤って伝えられてきました。また、ヨハン・ゼバスティアン・バッハはこの作品をハ短調のチェンバロ協奏曲として編曲しています。

1970あたりにベニスの愛という映画があってその中でも流れていたということですが、全く記憶にありません。しかし、これも聞いたことのある曲で、出だしのところが和音を重ねていくところなど、特徴的で吹いてみたい曲です。

マルチェロについて少し

1700年代初頭という作曲の年代を考えると、その後の100年でヨーロッパにおける音楽の変化というのは大きなものだったと感じざるを得ないと思います。その100年の間に大きな社会的な変化があったということは、半世紀以上前に世界史で習ったとはいえ、文化的な変化には無頓着でいたわけですが、今更ながら、その変化を肌で感じることができるといえます。

このマルチェルロさん、今一、認識がなかったのが正直なところです。第一、あの音楽室には貼られていなかったのです。あの如何にも感じの悪そうな爺さん達の中にはなかったので、当然知る由もなかったということでしょう。そこで、この人の肖像画をみたら、これまた、ちょっといくつのときの肖像なんだという感じの変なものでした。これです。

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このマルチェルロさん、バッハより年上のイタリア人だったそうで、よくあるパターンの万能の人だったみたいです。時は、江戸の初期から中期、綱吉あたりから吉宗あたりまで活躍した人です。と考えるとそんなに古いと思わないのですが、バッハより年上と考えると、すごく古い感じがします。やはりあの音楽室に飾られていたバッハの肖像画に問題があったのかもしれません。

逆に考えると、日本の音楽はその後のヨーロッパのような進展がなかったということを考えると不思議に思えます。西洋の音楽の発展がかなりのものだということもいえましょう。やはり、世界史で習ったその後のヨーロッパにおける産業革命やフランス革命以降の社会的な変化は相当なものだったのだと感じざるを得ません。日本の中では明治維新ということがかなり重要視されていますが、確かにそうともいえますけれど、世界規模でいうとやはり産業革命であり、フランス革命だったのだろうと思います。

このマルチェロさんの音楽から、19世紀にはいってからのロマン派であったり、印象派に影響された音楽であったりの進展は日本にはなかったことだろうと思います。

オーボエの歴史

ところで、オーボエという楽器はそれほど一般的な楽器と思えませんが、その起源は古く、エジプトの遺跡の壁画にもそのルーツである葦笛が見られるとされています。他の楽器と違い、2枚リードの楽器です。やがてトルコのズルナという楽器がよく使われるようになり、これがヨーロッパにも伝わり、オーボエの先祖になったといわれています。ただ、トルコのズルナはかなりやかましい楽器で、屋外用であったものを、改良し、室内用のまろやかな音になって現在のオーボエに直接つながるものができたということです。この楽器も他の楽器同様、はじめは限られたキーでしか演奏できなかったそうですが、その後安定的な半音キーをえて、現在の姿になったということです。

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演奏例

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