曲の由来
1852年(ペリー来航前年)、パリに滞在したヴェルディはデュマ・フィスの戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し、当時新作の作曲依頼を受けていたヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために、翌1853年初めに比較的短時間で作曲されたオペラです。
作品は全3幕からなり、アレクサンドル・デュマ・フィスによる原作小説に基づきフランチェスコ・マリア・ピアーヴェが台本を書いています。長編の原作から、要領良く主要なエピソードを取り上げて、聴きどころに富んだ構成となっています。
悲劇でも音楽的には明るさ、華やかさ、力強さを失わないヴェルディの特質がもっとも良く発揮されており、人気の源泉となっています。
初めての吹奏楽地区大会に参加した年(50年以上前)に、優勝した中学校の自由曲になっていて、自分たちの中学校の楽器のボロさと技術のなさに打ちのめされて、すごすご帰った思い出の曲です。
トランペットのソロがあって、うまいなあと思ったものです。しかし、今思えば、B♭の楽譜(はじめの音がトランペットの低いドの音から始まる)で吹きやすく、難しい曲ではないのですが、手でかけたビブラートが、うまかったので、まんまとだまされました。
オペラの内容・あらすじ
このオペラは3幕からなり、この曲は、第1幕の初めに出てくる曲です。第1幕の内容は、ざっとこんな感じです。
第1幕
舞台はヴィオレッタの住む屋敷です。今夜も賑やかなパーティーが開かれており、女主人は来客をもてなしています。そこへアルフレード(青年貴族)がガストーネ子爵の紹介でやってきてヴィオレッタに紹介される。歌を1曲歌うよう勧められた彼はいったん辞退するが皆の再度の勧めでグラスを片手に準備をします。一同の沈黙と緊張のなかアルフレードは情熱を込めて歌い、ヴィオレッタが加わってデュエットになる。さらに皆が加わって華やかに歌い上げる(ここで紹介している「乾杯の歌」)。
皆が別室に行こうとしたときにヴィオレッタがめまいをおこして椅子に座り込む。何でもないからと一人部屋に残った彼女の所にアルフレードが来ます。アルフレードはヴィオレッタに、こんな生活をしていてはいけない(ヴィオレッタは高級娼婦)といい、1年前からあなたを好きだったと告白します。ヴィオレッタは最初は軽くあしらうが、彼の真剣さに少し心を動かされる。ヴィオレッタは椿の花を渡して再会を約し、「この花がしおれるころに」という。有頂天になるアルフレードに「もう一度愛しているといってくれますか」とヴィオレッタが尋ねると、「はい、何度でも!」と彼は応ずる。
アルフレードに続き来客が去って一人になったヴィオレッタは物想いにふける。「不思議だわ」(作品を通じ、彼女はこの言葉を各幕で1回、計3回繰り返す)と純情な青年の求愛に心ときめかせている自分の心境をいぶかる。そして、彼こそ今まで待ち望んできた真実の恋の相手ではないかと考える(「ああ、そは彼の人か」)。
しかし、現実に引き戻された彼女は「そんな馬鹿なことをいってはいけない。自分は今の生活から抜け出せる訳が無い。享楽的な人生を楽しむのよ」と自分に言い聞かせる。(「花から花へ」)彼女の中でアルフレードとの恋愛を肯定するもう一人の自分との葛藤に、千々に乱れる心を表す、コロラトゥーラ唱法を駆使した華やかな曲で幕切れとなる。
第2幕に続く…。
こちらもオペラの中の曲ですが、最近、いろいろなオペラ、といっても代表的なものを割と網羅している大役付きのサイトを見つけました。こちらです。真偽のほどはわかりませんが、かなりまとまっていていいのではないかと思います。
ヴェルディが作曲を手掛けたのは、1852年、パリに滞在中、デュマ・フィスの戯曲版『椿姫』の上演を見て感激したのがきっかけで作曲したオペラです。ヴェネツィアのフェニーチェ劇場から新作の作曲依頼を受けていたために、翌1853年初めに比較的短時間で作曲したのが、このオペラ椿姫です。
初演当時は娼婦を主役にした作品ということで、イタリアの統治国側の検閲により道徳的な観点から問題視されましたが、ヒロインが最後に死ぬということで上演がゆるされたと言われるいます。
初演は1853年3月6日、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で行われました。しかし、準備不足(作品の完成から初演まで数週間しかなかった)などから、初演では聴衆からも批評家からもブーイングを浴び、歴史的大失敗を喫しました(蝶々夫人、カルメンと共に有名オペラの3大失敗ということがある)。
しかし、翌年の同地での再演では入念なリハーサルを重ねた結果、聴衆に受け入れられることになります。その後も上演を重ねる毎に人気を呼び、今日ではヴェルディの代表作とされるだけでなく、世界のオペラ劇場の中でも最も上演回数が多い作品の一つに数えられています。