「6つの小品」作品51は1882年、42歳のチャイコフスキーが妹アレクサンドラの住むキエフ郊外のカメンカと言う村で書いた作品です
その4年前、1878年10月、作曲に専念するために12年間勤めたモスクワ音楽院講師を辞職します。これから約10年間、フィレンツェやパリ、ナポリやカーメンカなどヨーロッパ周辺を転々とし、大作から遠ざかります。
1880年には『弦楽セレナード』(作品48)、大序曲『1812年』(作品49)が書かれました。同年、父イリヤが84歳で死去します。1881年には友人ニコライ・ルビンシテインが死去し、彼の死を悼んでピアノ三重奏曲(作品50)の作曲に着手します。翌年完成し、ニコライの一周忌に初演しました。
原稿には”A la mémoire d’un grand artiste”(ある偉大な芸術家の思い出のために)と書かれていました。そんな年に、この曲のもととなるピアノ曲「6つの小品」作品51(1882年)が作レれます。その第6曲がこの曲です。
ピアノ曲「6つの小品」作品51(1882年)の第6曲がこの楽譜です。
1.サロン風ワルツ
2.少し踊るようなポルカ
3.メヌエット(スケルツォオーソ)
4.ナタ・ワルツ(第2稿)
5.ロマンス・ヘ長調
6.感傷的なワルツ
チャイコフスキーの人生で最も幸せな期間に書かれたといわれています。音楽評論でも知られる作曲家ボリス・アサーフィエフは、これらの小品を「真の慈悲深さがあり、人の心を暖める」と評しています。