シュトラウス2世の「三大ワルツ」に数えられるこの曲ですが、あとの2つは『ウィーンの森の物語』と『皇帝円舞曲』です。その中でも最高傑作とされるのも、またウィンナ・ワルツの代名詞ともいわれるのも、この曲です。オーストリアにおいては、正式なものではないが帝政時代から現在に至るまで「第二の国歌」と呼ばれています。
≪最初から人気があったわけではない。≫
1865年初頭、シュトラウス2世は、ウィーン男声合唱協会(ドイツ語版)から協会のために特別に合唱曲を作ってくれと依頼されます。そして、2年後にやっとできたということですが、はじめは必ずしものちに第2国歌といわれるほど人気がなかったのです。それが、フランス語に訳され、フランスで演奏され、大人気となり、またイギリスでも同様の評価となり、本国でも人気が出てきたということです。
≪美しくないドナウ≫
ウィーンから眺めるドナウ川の色は、濁った茶色かせいぜい深緑色といったところであり、『美しく青きドナウ』という曲名のイメージには程遠いのが現状です。
思い出してみると、確かに透明な感じの印象が残っていません。ドナウ川が美しい青色に見えるのはハンガリー平原に入ってからといわれています。
また、この題名をつけるにあたって引用した『美しく青きドナウ』の文言を残した詩人のベックがハンガリー人であることからも推測できます。この詩はそもそもハンガリー(おそらく国土の南部)を流れるドナウ川のほとりを舞台にした恋の詩だと考えられています。
また、もともとはウィーンから見ても綺麗な川だったが、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の治世下で治水工事が行われた結果、景観がすっかり変わってしまったとする説もあるそうです。事実、この曲ができたと同じ時期に戴冠していますので、すぐさま治水工事が行われたとは思われないということもあると思います。それ以前は、綺麗だったということもあるかもしれません。