ピアノソナタ第14番嬰ハ短調 作品27-2 『幻想曲風ソナタ』(”Sonata quasi una Fantasia”)は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1801年に作曲したピアノソナタ。『月光ソナタ』という通称とともに広く知られています。
1801年、ベートーヴェンが30歳のときの作品です。1802年3月のカッピによる出版が初版であり、ピアノソナタ第13番と対になって作品27として発表されました。両曲ともに作曲者自身により「幻想曲風ソナタ」という題名を付されており、これによって曲に与えられた性格が明確に表されています。
曲の由来・エピソード
『月光ソナタ』という愛称はドイツの音楽評論家、詩人であるルートヴィヒ・レルシュタープのコメントに由来します。ベートーヴェンの死後5年が経過した1832年、レルシュタープはこの曲の第1楽章がもたらす効果を指して「スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」と表現しています。以後10年経たぬうちに『月光ソナタ』という名称がドイツ語や英語による出版物において使用されるようになり、19世紀終盤に至るとこの名称が世界的に知られるようになります。
一方、作曲者の弟子であったカール・ツェルニーもレルシュタープの言及に先駆けて「夜景、遥か彼方から魂の悲しげな声が聞こえる」と述べています。このように『月光ソナタ』の愛称と共に広く知られる以前より人々の想像を掻き立て、人気を博した本作であったが、ベートーヴェン自身はそのことを快く思っていなかったとされています。
曲の由来・エピソード2
この曲は伯爵令嬢ジュリエッタ・グイチャルディに献呈されています。ベートーヴェンはブルンスヴィック家を介した縁で自らのピアノの弟子となったこの14歳年少の少女に夢中になっていました。1801年11月16日に友人のフランツ・ベルハルト・ヴェーゲラーへ宛てた書簡には次のようにあります。
「このたびの変化は1人の可愛い魅力に富んだ娘のためなのです。彼女は私を愛し、私も彼女を愛している。(中略)ただ、残念なことには身分が違うのです」。
その後、グイチャルディはヴェンゼル・ロベルト・フォン・ガレンベルクと結婚してベートーヴェンのもとを去っていきます。
この献呈は当初から意図されていたわけではなく、グイチャルディにはロンド ト長調 作品51-2が捧げられるはずでした。しかし、ロンドをヘンリエッテ・リヒノフスキー伯爵令嬢へ贈ることが決まり、代わりにグイチャルディへと献呈されたのがこのソナタであったようです。なお、ジュリエッタはアントン・シンドラーの伝記で「不滅の恋人」であるとされています。
ピアノを弾く人なら必ずと言っていいほど練習する曲みたいです。題名が『月光』とつけられているのは、ベートーヴェンによるものではなく、某有名詩人が私はそう感じるということで、付けちゃった題名であり、そのイメージで聞くというと、この曲の間違えた解釈になるのではないかと感じ?ます。こんなに有名な曲なので、私がとやかく言う資格もないですが、自他ともに認める可愛い女性が自分に合った服をいろいろ探して、気に入ったものをすぐに着てみたくなるのと同じような衝動で、この曲を吹いてみたいというのが私の魂胆なもので、多少、楽譜の中の変なところには目をつぶってご利用ください。