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【無料楽譜】パーシー・ウェンリッチ『浪路はるかに 』(Sail along silvry moon/PERCY)

スタンダード曲集
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楽譜のご紹介

 この曲は1960年代に日本でも大ヒットした曲です。結構長い間ヒットしていたと思います。もちろんビリーボーン楽団という名前もそのころ耳にしました。ちょうど夏の時期になると、必ずかかっていたハワイアンと、同じように、夏になるとラジオから流れていたように記憶します。だからでしょうか、当時の情景が自然と思い出され、もう亡くなった人たちが若かったころの記憶とともにある懐かしい曲です。

この題名も不適切な感じのする日本語の題名です。元の題名は”Sail along silvry moon”とありますので、どこかに月が出てきてもよさそうですが、全くありません。

日本語の題名からは晴れた日ののどかな海の一日を思い浮かべますが、英語の歌詞の中ではどう見ても設定は夜です。ふられた女性にもう一度アタックしたいという願望を船上で銀色の月を見ながら思うという感じの詞です。このことを念頭に改めて聞くと、あのリフレーンする3連符のところが意味が違って聞こえてきます。

この曲の作曲者のパーシー・ウェンリッチPercy Wenrich(1887年1月23日 – 1952年3月17日)はアメリカのラグタイムとポピュラー音楽の作曲家でした。

彼は、ミズリー州ジョプリンにて産まれます。1901年にシカゴ音楽大学に進むためにシカゴへ行きました。その後、ウェンリッチは、1907年映画音楽の作曲者として働くために、ニューヨークにわたりますが、彼の音楽にはミズリー州のフォークソングのテイストが残っていました。また、彼は当時の流行であったラグタイムを少なくとも18曲、書いています。

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ウェンリッチはボードビルパフォーマーのドリー・コネリーと結婚しました。そして、彼女のために、1911年にヒットしたエドワード・マッデン作詞による “Red Rose Rag”という曲を書きました。1912年にはウェンリッチとマッデンはもう一つのヒット曲”Moonlight Bay”をつくります。ウェンリッチとコネリーの夫妻はそれからも数年ツアーを共にします。

そして、1937年に、ここで紹介する曲、ウェンリッチ最後の記念すべき曲、”Sail Along, Silv’ry Moon”を書きました。彼は、1952年、65歳の時、ニューヨークで亡くなっています。

この曲はもともとハワイアン的な感じで歌われていた曲です。ビング・クロスビーの歌声が残っています。1930年代に作られた曲で、それをビリー・ヴォーン楽団が取り上げ、大ヒットにつながったのが1957,8年ということです。

ビリー・ヴォーン(Billy Vaughn、1919年4月12日 – 1991年9月26日)は、アメリカ合衆国の歌手、マルチプレイヤー、指揮者。ポピュラー音楽イージー・リスニングのヒット・メーカーとして有名。

ケンタッキー州のグラスゴー(Glasgow)生まれ、3歳の時からマンドリンを学び初め、以降も様々な楽器の演奏を習得します。

1954年、テネシー州のドット・レコード(Dot Records)に音楽監督担当として起用される。同年、自身の楽団を結成。シングル「愛のメロディー Melody of Love」をリリースし、ビルボードのシングル・チャートに27週間ランキングされるヒットとなる(最高位は2位)。その後10数年に渡って数々のヒット曲を生み出しました。

1991年、カリフォルニア州パロマーにて癌で死去。

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演奏例

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