この曲はチャイコフスキーが29歳の時に手掛け、実に12年かけて、現在の形になっています。当時ロシア音楽界で実権を握っていたロシア5人組の代表格であるミリイ・バラキレフの批評を受け入れながら、第2稿、第3稿(決定稿)と改訂して、それだけの時間がかかったのです。この楽譜は愛のテーマと通称されているところですが、気鋭なメロディーでありながら、緊張感があってとても好きです。
1868年、チャイコフスキーは当時ロシア音楽界で実権を握っていたロシア5人組の代表格であるミリイ・バラキレフと知り合い、自身の作品を彼に献呈して批評を仰ぐなどしながら交友を深めていました。
それから1869年8月にバラキレフがチャイコフスキーの元を訪ねた折、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を題材とした作品の作曲を勧めたとされています。その際、曲に用いる主題とその調性など、細かい部分に関しても具体的な助言を与えたほか、「作曲の筆が進まない」というチャイコフスキーの手紙に自ら譜例を書き添えて返事を送ることもあったそうです。
こうして第1稿が完成。その後もバラキレフの批評を受け入れながら、第2稿、第3稿(決定稿)と改訂していくことになる。なお、題名に“幻想序曲”と付けられたのは第2稿からす。
楽譜はそのロミオとジュリエットの後半部分の一節です。