楽譜のご紹介
作者は未詳ですが、この歌はボニー・プリンス・チャーリーこと チャールズ・エドワード・ステュアートのことを歌っていると言われています。
セオドア・ラフの1964年の書籍『American song treasury: 100 favorites』によると、「1870年代に楽譜店で、プラットという人が偽名でこの歌を発表すると、大きなヒットとなりました。大学の合唱団だけにとどまらず、ほとんどの合唱団に人気があった。」としています。
また、マイ・ボニーのボニーについて、深い歴史があるようです。
17世紀後半にイギリスでは、カトリック系のジェームズ2世が退位してプロテスタントのメアリー女王が誕生しました。このころのイギリスでもほかのヨーロッパ諸国でも、どこでも名前がこんがらがって、よくわからない歴史ですが、早い話が、ジェームス2世がカトリック強化に走って人気を落としたのでした。
そして、それが、名誉革命と進み、退位させられたのです。しかし、スコットランドを中心としたジェームズ2世のスチューワート家の復興を目指し、ジャコバイトと呼ばれる勢力となり、その先頭に立っていたのが、チャールズ・スチュワートでした。
別名、ボニー・プリンス・チャーリーという愛称で呼ばれていたということです。しかし、初めこそ戦に勝ちますが、その後やられてしまう。そのボニーを暗に歌っているのだということが言われているようです。
この辺のイギリスの歴史については、こちらで頭の整理ができます。
昭和30年代に、小学生だった私は、学校で集団映画鑑賞という時間があって、映画シーンの中で、この曲を初めて聞きました。
映画の題名も覚えていませんが、岡田英次さんの主演でした。主人公の日本兵は南洋で捕虜となり、戦犯として明日の身も知れずにいました。その中で、英語で習ったことのあるマイボニーという、この歌を繰り返し歌て、故郷のことを思ってなみだしていたのでした。
そうすると、監視役の米兵がその歌に共感し、親交が深まり、捕虜のために尽力して、無実を証明するというような感じのものでした。小学校低学年だった私でも、ちょっと話が出来すぎていないか、とは思いましたが、実話だそうです。まだ、戦争中の話が、リアルに聞ける時代だったように思います。当時はまだ兵士として戦った人々でも、40歳ぐらいの人が多かったと思います。知っているおじさんに当時聞いた話では、毎日毎日、上官から殴られて殴られて、本当につらかったそうです。近時のパワハラの日ではなかったようです。